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大阪南部の寺内町、貝塚市 [徒然]

15日の土曜日、貝塚市コスモスシアターで行われた講談「旭堂南陵一門会」に行ってきました。
その際少し早めに行き、少し貝塚の町を散策してきました。貝塚市は大阪南部、関西国際空港
のある泉佐野市とだんじりで有名な岸和田市の間にあります。

南海電車和歌山線に乗って貝塚駅で下車。
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貝塚市といわれるからには縄文時代の貝塚が発掘されこの名が付いたというのが一般的に
思われがちですが、実際貝塚は発掘されていません。実際のところ知名の由来は不明。
マイナーな場所ですが、アラフィフ以上の方なら東京オリンピックの東洋の魔女、日紡貝塚
女子バレーボールチームの本拠地だったという事はご存知の事と思います。

貝塚御坊願泉寺の寺内町として発展してきた街でいたるところに寺社があります。
浄土真宗本願寺派 尊光寺
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真宗大谷派 満泉寺
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浄土真宗本願寺派 正福寺
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一向宗信仰が盛んな街だったので浄土真宗のお寺さんが数多く存在します。そしてこの街
の発展の中心となったのが浄土真宗本願寺派の願泉寺です。もともとは行基
開基した庵寺で蓮如も逗留した歴史あるお寺さんです。
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1545年(天文14年)に紀州根来寺より卜半斎了珍(ぼくはんさいりょうちん)住職が招かれ、
以来地元では「ぼっかんさん」と親しまれています。1577年(天正5年)信長の雑賀攻めで全焼。
1583年(天正11年)石山合戦で石山本願寺から紀伊の鷺森御坊に撤退した顕如を迎え、
1585年(天正13年)8月までの約2年間、浄土真宗本願寺の拠点となりました。その後、本願寺
は大坂天満に移転し、慶長12年(1607年)、本願寺准如から「願泉寺」の寺号を授けられました。
信長の一向宗の弾圧、秀吉の雑賀攻めなど戦に翻弄されたお寺さんでもあります。
重要文化財 表門 - 延宝7年(1679年)建立
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重要文化財 太鼓堂 - 享保4年(1719年)建立
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ご本尊は行基作阿弥陀如来像です。本堂も重要文化財に指定されています。
寛文3年(1663年)建立された大きな本堂です。
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歴史ある街並みは歩いていても気持ちのいいものです。貝塚編はまだまだ続きます。
次回は貝塚寺内町の産上神「感田神社」をご紹介します。
これにて御免[exclamation][ダッシュ(走り出すさま)]



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