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大坂之陣ウィーク(道明寺古戦場跡巡り1)5月3日 [散歩]

道明寺合戦まつりのイベントの中、ちびっ子スポーツチャンバラ大会など特に見るべきものの
ない時間に古戦場巡りハイキングに出かけました。祭りの会場の河川敷から石川を渡ります。
この玉手橋は府の重要文化財のつり橋です。ここから河川敷を一望。
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1,5km程歩くとまず最初のポイント「奥田三郎衛門忠次の墓」です。
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後藤又兵衛の急襲により戦死した徳川方の先鋒です。
この近辺から玉手山になります。古戦場の一つ「小松山古戦場」の跡地です。
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しばらく上ると玉手山公園があります。ここは昔1998年までは玉手山遊園という小さな遊園地で
大阪市内の小学校の遠足では必ず行っていた所です。遊園地といってもアトラクションなどは少なく
長いすべり台が有名なだけの当時から公園のような遊園地でした。小学生にとってはちょうどよい
ハイキングコースだったので行ったんだと思います。
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玉手山公園でも小松山合戦まつりが行われていました。
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入り口では後藤又兵衛と伊達政宗が出迎えてくれました。
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公園中央のイベントステージで太鼓、琴などの演舞をしていましたが、時間がなくスルー。
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公園内にも史跡がたくさんあります。まずは大坂夏の陣でたくさんの戦死者が出たこの合戦。
そのための大坂の陣供養塔があります。
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真田家の先陣をきって2800の兵を連れ戦いを挑んだ後藤又兵衛、方やその10倍もの兵力で
襲ってくる伊達家片倉重長率いる部隊に破れこの山を降りる事になります。その際、後藤又兵衛
はこの戦で討ち死にした事になっています。後藤又兵衛基次之碑があります。
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しかしそれは一説で、ここで死んだのは影武者。又兵衛は生き延び後々まで活躍した説もあります。
その横には吉村武右衛門之碑があります。後藤軍の人物で後藤又兵衛の首を隠し逃亡。後にこの地
に戻り僧となって、この戦の死者を弔ったといわれる人物です。
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大坂の陣とは関係はありませんが、小林一茶の歌碑もありました。1795年当時すでに景勝地
として有名だった玉手山を訪れ「初蝉や 人松陰を したふ比」と歌碑には刻まれています。
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公園らしく顔出し人形がありました。顔を入れて写真を撮りたかったのですが一人だったので断念。
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玉手山遊園を抜けてもまだまだ先は長く、しばし休憩。暑くなってきましたので久しぶりにソフトクリーム
を食べました。オッサン一人がベンチに座ってソフトを食べている異様な光景だった事でしょう。
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道明寺古戦場跡巡りはもう少し続きます。今しばしお付き合いを。
これにて御免[exclamation][ダッシュ(走り出すさま)]




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