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大阪漫遊記(岸和田・蛸地蔵)編 [徒然]

5月18日(日)、岸和田フォーラムに参加するため再び岸和田にやってきました。
少し早めに家を出て岸和田の街を散策しました。だんじりの街として全国的にも
有名な街だと思います。まずは駅前商店街を通り紀州街道まで出ました。
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この商店街には超有名店があります。そう岸和田が生んだ世界的デザイナー
コシノファミリーの本家本元です。
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紀州街道を歩くと古い街道沿いらしく老舗の店舗が並んでいます。
提灯屋さん。
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老舗の和菓子屋さん。
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その他古民家や仏具屋などが並んでいました。いい雰囲気の街並みです。
途中「きしわだ自然史博物館」もありましたが、入り口から見た限りあまり面白くなさそうで
入場料200円もいるのでパスです。
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そして岸和田城、そしてフォーラム会場岸和田だんじり会館に到着。ここについてはまた次回。
時間がまだあるのでもう一つのチェックポイント蛸地蔵に行きました。岸和田駅から1つ和歌山
寄りの駅です。
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なぜ蛸地蔵という変な名前かというと、それは通称蛸地蔵と呼ばれる「天性寺」があるからです。
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浄土宗の寺院で創建は1570年(詳細は不明)。山号は護持院、院号は朝光院。
ご本尊は阿弥陀如来と秘仏蛸地蔵とされる地蔵菩薩です。
ではなぜ地蔵菩薩が蛸地蔵と言われているかという由縁は、建武年間に岸和田城を高波が
襲いかかり、その時海の彼方より大蛸に乗って現れた法師が海岸まで近づき波風を鎮められて
城下は救われたそうです。その後1584年岸和田合戦の際、小牧・長久手の合戦に出陣した
秀吉の隙をついて大坂を目指した根来寺勢その数3万、一方岸和田城を守る兵は約5千。
落城寸前の危機にあった岸和田城を再度蛸に乗った法師が現れ次々と敵を倒していった。
しかし多勢の根来寺勢に取り囲まれ危機に陥った法師を海辺から轟音をたて幾千万の蛸
の大群が現れ敵を殺す事無く退却させたといわれる。城主は喜び法師を探したが結局わから
なかった。ある夜、法師が城主の夢枕に立ち、自分は地蔵菩薩の化身であると告げたので、
その昔戦乱から守るため、堀に埋め隠し入れた地蔵菩薩像を出して祀ったといわれます。
その地蔵菩薩を祀ったのがこの天性寺でそれからここを蛸地蔵と呼ばれる事になったそうです。
今ここ天性寺の地蔵堂は日本一大きい地蔵堂となっています。
由縁、言い伝えって面白いですね。では岸和田城、岸和田フォーラムは次回以降にて。
これにて御免[exclamation][ダッシュ(走り出すさま)]




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