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大阪漫遊記(岸和田城)編 [徒然]

岸和田フォーラムに参加する前に岸和田城に寄りました。岸和田にはだんじりを見に行ったり
何度も訪れていますが、実は岸和田城を訪れたのは初めてです。岸和田市役所すぐ横にお堀
があります。
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日曜日でしたが大阪城ほどの賑わいもなく人もまばらでゆっくり見学する事ができました。
さて入城しましょう。
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門を入ってすぐに城碑がありましたが、薄く汚れていたので何が書かれているかわかりません。
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こじんまりとした天守閣本丸は昭和29年に再築されたものです。
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本丸前には八陣の庭が広がります。諸葛孔明の八陣法をテーマにしたとされ、中央の大将と
先端の天・地・風・雲・鳥・蛇・龍・虎の各陣に石組みが配されています。
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入城料300円を払って城内へ。しかし城内展示物はすべて写真NGでした。3Fの展望台から
の風景ですが、西には大阪湾が1kmほどの距離に望めます。
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東には遠く葛城山の山並みが見えました。
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城内の展示はほとんど江戸時代の城主岡部氏関連のものばかりでした。しかしそれまでは城主が
いろいろ代わっています。詳しくは岸和田城Wikipediaで
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E5%92%8C%E7%94%B0%E5%9F%8E
面倒くさいという方に少しだけ略歴を申しますと、1334年前後楠木正成の命により和田高家が
現在より500m東に岸和田古城を築城。岸の城と呼ばれその後和田高家が築城した事から
岸和田城と呼ばれた。後、羽柴秀吉は根来衆、雑賀衆ら紀州の一揆を封じるための拠点とし、
その後も家臣小出秀政を城主として紀州から大坂城を守る拠点となったが、大坂之陣では小出が
東に寝返り、松平信吉が城主となり南からの大坂攻めの拠点となった。江戸時代からは岡部氏
が代々城主を勤め現在に至っています。
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二の丸多聞櫓も再築されたものです。
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お城の前の公園には岡部氏家紋入りの時計台がありました。
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前勉強なしに行ったのが間違いでした。城内には岸城神社(岸和田神社)があり、ここが岸和田
だんじり祭の祭神となります。行かなかったのが残念です。
では次回に岸和田フォーラムの報告をさせていただきます。
これにて御免[exclamation][ダッシュ(走り出すさま)]




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