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大阪漫遊記(堺・南宗寺)編 [徒然]

日曜日、徳川家康の墓があるという堺の南宗寺へ拝観に行きました。堺に行く時
はやっぱり阪堺電車です。ラッキーにも最新機「堺トラム」に乗る事ができました。
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初乗りの感想は静かでスムーズに走行します。私としては路面電車は多少の揺れが
心地いいと思うのですが。あべの橋から約30分で御陵前駅に到着。そこから徒歩約5分
で目的地「南宗寺」に到着です。
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臨済宗大徳寺派のお寺さんで山号は龍興山、戦国時代堺を支配した三好長慶が父元長を
弔うため、弘治3年(1557)に開山されました。
山門の甘露門は重文です。
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鐘楼は文政年間、焼失したものを明治になってから再建されました。
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仏殿は大雄賓殿とも言われ方三間の主室の周囲に掌階をまわした方五間本瓦葦の建物で、
小規模ながら純粋な禅宗様式仏殿になっている。中央に釈迦如来を安置し、天井には狩野信政筆
八方睨みの龍」が描かれています。
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方丈(本堂)は座禅道場であり、中央には文殊菩薩が祀られています。
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前には枯山水の庭が広がります。珍しい市松模様に描かれています。
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客殿として坐雲亭があります。
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拝観料400円も払ったのに本堂の中は見ることができませんでした。くっそ~[パンチ]
千利休とも所縁が深く、実相庵茶室、また千家一門の墓があります。
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そして前々回のブログにて紹介しました徳川家康夏之陣死亡説の謎。徳川家康の墓があります。
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大坂夏之陣で茶臼山の激戦に破れ駕籠で逃げる途中、後藤又兵衛に遭遇し槍に突かれ辛くも
堺まで落ち延びたが駕籠を開けてみると既に事切れていました。遺骸を南宗寺の開山堂下に隠し
て、後の家康は東大阪の吉田村にいたやそ兵衛が影武者となったという逸話。南宗寺に徳川家康
の墓が建てられたのは後の話だが、なぜそのような逸話が生まれたかと言うと、開山堂が大坂
夏之陣で焼失後中興開山の祖である沢庵和尚を祀る建物が建てられた。しかしこれも第2次大戦
で焼失。そして再度建造するにあたり地下を掘ったところ卵型の無名碑が発掘され、そこには
「無名ノ塔/家康サン銘ス/観自在」と刻まれていた。その場所がここ。
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逸話の元はそれだけではない。実際残っている書状に、徳川歴代将軍がこの南宗寺に訪問して
いるというものが残っている。江戸からなぜ遠路遙々この堺まで来ていたのか?それは家康の
墓がここにあったからに違いないと思われる。この逸話信じるか信じないかはあなた次第です。
これにて御免[exclamation][ダッシュ(走り出すさま)]




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