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憂う [講談]

暑い日が続く中ついついブログUPする気力も失せ滞りがちになってしまいます。
普段の私はあいも変らず月、火、水、金は会社に行って公務員の如く9:00~
17:30まで机に向って校正の仕事。収入は微々たるものですが、体の具合も
あり悠々の週休3日生活をしています。そして木曜日は午前中は定期通院、
講談塾のある日は夕方塾に通い趣味を堪能する生活。それでも毎朝4時には
目が覚めるため、毎日コツコツ起きてから3時間は公募用の小説なりエッセイなり
を頑張って書いています。
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17日(木)は講談塾はお休み。代わりに旭堂南鷹会へ行ってきました。
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江戸講談界は、一龍斎、神田、宝井など数々の名籍があり講談師の人数も70人にも上ります。
しかし上方の講談師はわずか20人足らず。大正ぐらいまでは玉田、松月堂などの名も
残っていたのですが、今は旭堂しか残っていません。二代目旭堂南陵師匠の頑張りも
あり、旭堂の名は今もなお続いています。しかし15年前三代目南陵の弟子たちの内紛が勃発。
一番弟子小南陵VS弟弟子たちの構図となりました。現在は旭堂南陵(前小南陵)一門
の大阪講談協会と旭堂南左衛門一門の上方講談協会とに分裂しています。
大阪講談協会                     上方講談協会 
  旭堂南陵(四代目、前小南陵)            旭堂左南陵                    
  旭堂小二三                       旭堂南左衛門 
  旭堂南陽                         旭堂南鱗
  旭堂みなみ                       旭堂南北 
  旭堂南照                         旭堂南華
  旭堂南春                         旭堂南海
                                 旭堂南湖
                                 旭堂花鱗
                                 旭堂南青
                                 旭堂南鷹
という構図になっています。
南鷹さんは異色で元南陵師匠の一番弟子になります。その頃の芸名は旭堂南太平洋。
しかしこのゴタゴタ内紛に嫌気が差し南陵一門を飛び出し講談界でも珍しい独立という
手段を取られました。その時の芸名が太平洋(冠なし)。しかし個人では古典講談の習得
もままならず今年南左衛門師匠に従事する事となりました。そしてその南鷹さんが初めて
開いた講談界でした。その講談会に南陵一門の南陽さんが出たのもまた異例でした。

内紛のゴタゴタがどちらが悪かったかなど今さらどうでも構いません。しかし上方講談全体
の人数が少ない中、古典講談の継承に一抹の不安を隠しきれません。数多くある古典講談
をこの人数で伝承していくのは大変な事だと思います。ただでさえ大変なのに、一門が分裂
してしまうと、一門間で演目が被ってしまい数が減っていくのではないかという不安です。
現に昨日の南鷹会では、南舟さんの「那須余一」、南鷹さんの「難波戦記・真田大助駿府の策」
は南陵一門の南照さん、小二三さんがそれぞれ演じています。落語のように人数が多い中での
ネタ被りはそれぞれの人の芸風があって面白いと思いますが、講談界ではこれは致命傷だと
思います。お互いの一門が切磋琢磨するのは結構ですが、将来の上方講談界を考えると和解し
それぞれの一門がそれぞれの演目を伝承して欲しいと憂いております。
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これにて御免[exclamation][ダッシュ(走り出すさま)]










 


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