少し遅れた墓参り~徳島へ~(高松編) [旅行]
お盆も過ぎ夏ももうすぐ終わりに近付いた今日この頃、母親から電話がありました。
「今年のお盆、お父ちゃんの具合が悪かったから墓参り行かれへんかってん。あんた
ちょっと行ってきてくれへんか。」との事。以前も書いたと思いますが、我が家系には
お墓が2つ存在します。一つはいつも弟が車があるので父、母とともに行く徳島にある本家
のお墓。そしてもう一つが私が行く奈良にある放浪画家でその地で死んだ曽祖父のお墓です。
小さい頃に行ったきりすっかりご無沙汰しておりましたし、これは「行っとかなアカン」と思った
わけです。青春18きっぷもまだ2日分残っていますし行ってきました。色々調べますと、
青春18きっぷを使わなければ高速バスなどを使って日帰りも出来ますが、使いますと
無理と判明。(大阪5:00発ならギリギリ帰ってこられますが、我が家から大阪駅まで5:00に
着くのが始発でも無理なんです。)徳島で一泊のプチ旅となりました。
6:00に家を出発後、大阪ー姫路ー岡山ー高松と順調に進んでいましたが、高松で徳島に向う
JR高徳線が2時間後にしかありません。(特急は何本かありましたが)これが日帰りできない
理由でもありますが、私はちょっとラッキーと思い高松で途中下車。少し高松観光をしました。
正面から見ると人の顔になっています。
駅前にあったのが香川県のマスコット「青鬼くん」です。桃太郎伝説の鬼ヶ島(女木島)がある
からでしょうか?
向った場所は高松城址です。玉藻城とも呼ばれ、現在は玉藻公園になっています。
高松城は豊臣秀吉の四国制圧後、讃岐国の領主になった生駒親正によって1580年築城
されました。日本100名城(77番)に選定されていて、城郭の形式は輪郭式平城で、本丸を中心に
二の丸、三の丸、北の丸、東の丸、桜の馬場、西の丸が時計回りに配置され、3重に堀が廻らされ
ていたそうです。現在は内堀と中堀の一部を除いて埋め立てられています。
月見櫓は重要文化財です。
蛸橋を渡ると本丸です。
が、もちろん廃城に伴い本丸はありません。
城内には披雲閣(重要文化財)があり、松平家の高松別邸として、1917年(大正6年)に竣工した
近代和風住宅建築です。
かつては城壁が海に面していて、外濠・中濠・内濠の全てに海水が引き込まれ、城内に直接軍船が
出入りできるようになっており、水軍の運用も視野に入れ設計されていた日本初の本格的な海城
だったそうです。海城は海上封鎖が難しく、水攻めや水断ちといった攻城手段が使えないため
戦争時の篭城や物資の搬入、脱出ができ、近世の縄張りとしては有利であったと言われています。
山城、平城、海城それぞれの特徴があって実に面白いですね。残念ながら顔ハメ看板はありません
でした残念無念
高松発は12:50です。昼食はもちろん高松ですから讃岐うどんをいただきました。麺の大きさだけ
注文し、トッピング、出汁、薬味はセルフサービスです。私は大サイズを注文。トッピングにはきつね
のお揚げさんと大好きなナスの天ぷらをチョイス。おにぎりも追加で計590円です。
お腹も満足、さあ徳島へ 次回の徳島編へ続く
P.S. 好評ジュンちゃんの顔ハメ看板コーナー。
「今年のお盆、お父ちゃんの具合が悪かったから墓参り行かれへんかってん。あんた
ちょっと行ってきてくれへんか。」との事。以前も書いたと思いますが、我が家系には
お墓が2つ存在します。一つはいつも弟が車があるので父、母とともに行く徳島にある本家
のお墓。そしてもう一つが私が行く奈良にある放浪画家でその地で死んだ曽祖父のお墓です。
小さい頃に行ったきりすっかりご無沙汰しておりましたし、これは「行っとかなアカン」と思った
わけです。青春18きっぷもまだ2日分残っていますし行ってきました。色々調べますと、
青春18きっぷを使わなければ高速バスなどを使って日帰りも出来ますが、使いますと
無理と判明。(大阪5:00発ならギリギリ帰ってこられますが、我が家から大阪駅まで5:00に
着くのが始発でも無理なんです。)徳島で一泊のプチ旅となりました。
6:00に家を出発後、大阪ー姫路ー岡山ー高松と順調に進んでいましたが、高松で徳島に向う
JR高徳線が2時間後にしかありません。(特急は何本かありましたが)これが日帰りできない
理由でもありますが、私はちょっとラッキーと思い高松で途中下車。少し高松観光をしました。
正面から見ると人の顔になっています。
駅前にあったのが香川県のマスコット「青鬼くん」です。桃太郎伝説の鬼ヶ島(女木島)がある
からでしょうか?
向った場所は高松城址です。玉藻城とも呼ばれ、現在は玉藻公園になっています。
高松城は豊臣秀吉の四国制圧後、讃岐国の領主になった生駒親正によって1580年築城
されました。日本100名城(77番)に選定されていて、城郭の形式は輪郭式平城で、本丸を中心に
二の丸、三の丸、北の丸、東の丸、桜の馬場、西の丸が時計回りに配置され、3重に堀が廻らされ
ていたそうです。現在は内堀と中堀の一部を除いて埋め立てられています。
月見櫓は重要文化財です。
蛸橋を渡ると本丸です。
が、もちろん廃城に伴い本丸はありません。
城内には披雲閣(重要文化財)があり、松平家の高松別邸として、1917年(大正6年)に竣工した
近代和風住宅建築です。
かつては城壁が海に面していて、外濠・中濠・内濠の全てに海水が引き込まれ、城内に直接軍船が
出入りできるようになっており、水軍の運用も視野に入れ設計されていた日本初の本格的な海城
だったそうです。海城は海上封鎖が難しく、水攻めや水断ちといった攻城手段が使えないため
戦争時の篭城や物資の搬入、脱出ができ、近世の縄張りとしては有利であったと言われています。
山城、平城、海城それぞれの特徴があって実に面白いですね。残念ながら顔ハメ看板はありません
でした残念無念
高松発は12:50です。昼食はもちろん高松ですから讃岐うどんをいただきました。麺の大きさだけ
注文し、トッピング、出汁、薬味はセルフサービスです。私は大サイズを注文。トッピングにはきつね
のお揚げさんと大好きなナスの天ぷらをチョイス。おにぎりも追加で計590円です。
お腹も満足、さあ徳島へ 次回の徳島編へ続く
これにて御免
P.S. 好評ジュンちゃんの顔ハメ看板コーナー。
やせ蛙負けるな一茶これにあり
皆さんに講談の楽しさ、面白さを知ってもらいたくて [講談]
ここ半年、ブログにおいて講談についていろいろ書いてきました。私が初めて講談に
出会ったのはもう10年以上前のことです。産経新聞のイベントで大阪の貝塚を巡る
ウォーキングに参加しました。10kmほどのウォーキングを楽しみ、最後に願泉寺と
いう所で住職のお話と旭堂南陵師匠の講談を聞いたのが最初でした。それまでの私は
寄席には行っていましたが、漫才や落語を楽しむばかり。講談と言えば江戸の田辺一鶴
先生の創作講談、一龍斎貞水先生の怪談噺ぐらいしか知らず興味の薄いものでした。
ところが一度生で聞いてみるともともと歴史好きだったのもありド嵌り。これまであまり
ブログに登場させなかったのはおそらく皆さんの興味がないだろうと思ったからです。
よく「落語は面白いが講談は難しい」という声をよく聞きます。確かに一部の軍記もの
などは歴史を知らないと面白みは半減します。でも怪談や創作もの、人情噺などは歴史
を知らなくても十分楽しめます。私は半年前からもっと深く講談を知りたいと思い講談塾に
通い始めました。そしてもっと皆さんに講談の面白さを知ってもらいたい。もっと講談を
楽しんでもらいたいと思いブログに書き始めた次第です。
昨日は前にも紹介したラブホテルのど真ん中にある太融寺で行われた講談会に行って
きました。「第二回南鷹会太融寺座」です。
太融寺の閉門は18:00ですので裏木戸から入ります。閉門後のお寺さんはひっそりとして
下界とは離れた気がします。
宿坊の2Fの講堂で行われました。
舞台もしっかり拵えており後は開演を待つばかり。
今回の講談会は大師匠が出ていないのでちょっとお客様も少なめでした。残念です。
大師匠がいないから皆気兼ねなく演じてより面白くなるんですが。
私は高座での演者の写真は頼まれないと撮りません。演者の気が散ると思うからです。
ですので開演前のリラックス状態をパチリ失礼。南鷹・南陽の兄弟弟子コンビです。
そして今回は江戸講談からの客演、日本一の美人講談師、一龍斎貞鏡ちゃんです。
サービス満点のポーズです。やっぱりカワイイ
そして若手の旭堂南斗君の4人の出演でした。8月の夏場、もちろん怪談特集でした。
楽しく涼んだ時間、本当に講談って面白いんですよ。是非一度体験してみてください。
P.S. 好評ジュンちゃんの顔ハメ看板コーナー。
出会ったのはもう10年以上前のことです。産経新聞のイベントで大阪の貝塚を巡る
ウォーキングに参加しました。10kmほどのウォーキングを楽しみ、最後に願泉寺と
いう所で住職のお話と旭堂南陵師匠の講談を聞いたのが最初でした。それまでの私は
寄席には行っていましたが、漫才や落語を楽しむばかり。講談と言えば江戸の田辺一鶴
先生の創作講談、一龍斎貞水先生の怪談噺ぐらいしか知らず興味の薄いものでした。
ところが一度生で聞いてみるともともと歴史好きだったのもありド嵌り。これまであまり
ブログに登場させなかったのはおそらく皆さんの興味がないだろうと思ったからです。
よく「落語は面白いが講談は難しい」という声をよく聞きます。確かに一部の軍記もの
などは歴史を知らないと面白みは半減します。でも怪談や創作もの、人情噺などは歴史
を知らなくても十分楽しめます。私は半年前からもっと深く講談を知りたいと思い講談塾に
通い始めました。そしてもっと皆さんに講談の面白さを知ってもらいたい。もっと講談を
楽しんでもらいたいと思いブログに書き始めた次第です。
昨日は前にも紹介したラブホテルのど真ん中にある太融寺で行われた講談会に行って
きました。「第二回南鷹会太融寺座」です。
太融寺の閉門は18:00ですので裏木戸から入ります。閉門後のお寺さんはひっそりとして
下界とは離れた気がします。
宿坊の2Fの講堂で行われました。
舞台もしっかり拵えており後は開演を待つばかり。
今回の講談会は大師匠が出ていないのでちょっとお客様も少なめでした。残念です。
大師匠がいないから皆気兼ねなく演じてより面白くなるんですが。
私は高座での演者の写真は頼まれないと撮りません。演者の気が散ると思うからです。
ですので開演前のリラックス状態をパチリ失礼。南鷹・南陽の兄弟弟子コンビです。
そして今回は江戸講談からの客演、日本一の美人講談師、一龍斎貞鏡ちゃんです。
サービス満点のポーズです。やっぱりカワイイ
そして若手の旭堂南斗君の4人の出演でした。8月の夏場、もちろん怪談特集でした。
楽しく涼んだ時間、本当に講談って面白いんですよ。是非一度体験してみてください。
これにて御免
P.S. 好評ジュンちゃんの顔ハメ看板コーナー。
家康め我が父の家臣であったものを・・・
土日も忙しなくチョコマカとしていました。 [講談]
少し間が空いてしまいました。先々週の土日に少々無理した訳ではありませんが、
先週から仕事もバタバタし、ブログを開けることもせず申し訳ございません。
土曜日は天王寺区役所で開かれた「大坂之陣400周年・天王寺真田幸村博サブイベント
『天王寺SANADA塾』」に参加してきました。
入り口には天王寺ゆるキャラ「ももてんちゃん」がお出迎えです。
今年は冬之陣から400年、来年は夏之陣から400年。大阪各地で盛り上がっています。
区役所3F講堂は割りと広く、参加者も150人ぐらいいました。
しかし内容はお粗末なものでした。最初講演として真田幸村末裔(何代目かは忘れましたが)の方の
ぼそぼそと聞き取りにくい講演。しかも知った事ばかりで、
2部はその方と仙台から真田家研究家とおっしゃる方、そしてわざわざ司会進行として長野上田から
女性の方がお出でになって3人でのパネルディスカッション。主に真田家の家系の話で再び、
そして2時間のイベントはわずか2枚のレジュメで行われるショボさ。
これで参加費1800円とはボッタクリも甚だしいお役所仕事もええとこです。
わざわざ仙台から胡散臭い研究家(しかもほとんど発言なし)、長野上田から司会進行を呼ぶような
無駄遣い。腹の立つことだらけのイベントでした。
日曜日は毎月第4日曜日に開催される寄席「堺夢浪漫亭・おたび寄席」を観に行きました。
講談二席、落語三席で行われるこの寄席はいつも満員御礼です。木戸銭もお値打ちの1000円。
大とりはもちろん旭堂南陵師匠ですが、本日の主役はこの方でした。
旭堂南照さん。今南陵師匠の4番目のお弟子さんです。今回南照さんが披露した
演目が「ミチコ先生とマーマレードと対馬丸」南照さんの創作講談です。
お話は70年前、沖縄からの疎開船「対馬丸」は米潜水艦の魚雷により沈没。その僅かな生き残った
方の中に、南照さんの小学生の担任ミチコ先生の旦那さんがおられたそうです。悲しい出来事の中に
偶然の出会い。ウルッとくるとてもいいお話でした。この日いつも満員御礼のおたび寄席はいつも以上
の大盛況。いつもより1,5倍ぐらいの客入りでした。それはこの講談が新聞で紹介されたからです。
詳しくはYahooニュースでも紹介されています。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140822-00000047-mai-soci
たまには土日は家でゆっくりするという選択肢もあると思いますが、わしゃ止まると死ぬんじゃ~。
P.S. 好評ジュンちゃんの顔ハメ看板コーナー。
先週から仕事もバタバタし、ブログを開けることもせず申し訳ございません。
土曜日は天王寺区役所で開かれた「大坂之陣400周年・天王寺真田幸村博サブイベント
『天王寺SANADA塾』」に参加してきました。
入り口には天王寺ゆるキャラ「ももてんちゃん」がお出迎えです。
今年は冬之陣から400年、来年は夏之陣から400年。大阪各地で盛り上がっています。
区役所3F講堂は割りと広く、参加者も150人ぐらいいました。
しかし内容はお粗末なものでした。最初講演として真田幸村末裔(何代目かは忘れましたが)の方の
ぼそぼそと聞き取りにくい講演。しかも知った事ばかりで、
「つまらん!本当につまらん!!」(by大滝秀治)
2部はその方と仙台から真田家研究家とおっしゃる方、そしてわざわざ司会進行として長野上田から
女性の方がお出でになって3人でのパネルディスカッション。主に真田家の家系の話で再び、
「つまらん!本当につまらん!!」(by大滝秀治)
そして2時間のイベントはわずか2枚のレジュメで行われるショボさ。
これで参加費1800円とはボッタクリも甚だしいお役所仕事もええとこです。
わざわざ仙台から胡散臭い研究家(しかもほとんど発言なし)、長野上田から司会進行を呼ぶような
無駄遣い。腹の立つことだらけのイベントでした。
日曜日は毎月第4日曜日に開催される寄席「堺夢浪漫亭・おたび寄席」を観に行きました。
講談二席、落語三席で行われるこの寄席はいつも満員御礼です。木戸銭もお値打ちの1000円。
大とりはもちろん旭堂南陵師匠ですが、本日の主役はこの方でした。
旭堂南照さん。今南陵師匠の4番目のお弟子さんです。今回南照さんが披露した
演目が「ミチコ先生とマーマレードと対馬丸」南照さんの創作講談です。
お話は70年前、沖縄からの疎開船「対馬丸」は米潜水艦の魚雷により沈没。その僅かな生き残った
方の中に、南照さんの小学生の担任ミチコ先生の旦那さんがおられたそうです。悲しい出来事の中に
偶然の出会い。ウルッとくるとてもいいお話でした。この日いつも満員御礼のおたび寄席はいつも以上
の大盛況。いつもより1,5倍ぐらいの客入りでした。それはこの講談が新聞で紹介されたからです。
詳しくはYahooニュースでも紹介されています。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140822-00000047-mai-soci
たまには土日は家でゆっくりするという選択肢もあると思いますが、わしゃ止まると死ぬんじゃ~。
これにて御免
P.S. 好評ジュンちゃんの顔ハメ看板コーナー。
後藤又兵衛、大坂之陣道明寺合戦見参
これは精力的と言うのか?無謀と言うべきか? [徒然]
金曜日の夜中から朝まで続いた七墓巡り、終わってからの土曜日は家に帰ってシャワーと
着替えを済ませ、一睡もせずにすぐに出かけました。不眠症はこういう時は便利です。
なぜそこまでして出て行かなければならなかったかというと、この日奈良の明日香村で発見
されたピラミッド型古墳「都塚古墳」の説明会があったからです。
説明会が10:00からだと聞いていて少し時間があったので途中の駅にある橿原神宮へ
ちょっと寄り道しました。
橿原神宮は、御祭神・神武天皇が畝傍山の東南・橿原の地に宮を建てられ即位の礼を行われた
宮址に、明治23年に創建されました。第一代の天皇であり我が国建国の始祖となられた神武天皇と、
媛蹈韛五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)皇后が祀られています。
広く大きな神社でしたが、朝と暑さという事もあったので人は少なく優雅な気持ちで参拝しました。
時間に余裕を持って明日香村に着きたかったのですが、ギリギリの時間になってしまいました。
駅に着くとすごい人だかりでした。後のニュースで見ると4000人を超えていた模様。歴史好き
はこんなに居るのかと感心。あまりの人数の多さに説明会は1時間繰り上げて9:00に始まって
いたそうです。でもここまできたらどんなに人が並んでいても説明会に参加したいし、古墳の中も
一目見たくなるのも人情です。列に並んで1時間あまり、やっと現場に到着しました。あまりの人の
多さに写真を撮る事もできませんでした。説明を聞く頃にはポツポツと雨もありカメラを出す事さえ
できませんでした。ですので状況はYOUTUBEでご覧下さい。
都塚古墳は蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳からは400mほど南東にあり、今のところ馬子の父、
蘇我稲目ではないかといわれています。日本では例を見ないピラミッド型の古墳
として話題となり、今回このような盛況ぶりになりました。説明会は来る人グループ毎にしており、
しっかりと説明を聞かせていただきました。詳しい話は興味のない方には長々とした説明となります
のでここでは省略させていただきます。雨も本格的に降り出しそうでしたので早々に退散。明日香村
は何度も訪れた地、また訪問したいと思います。
P.S. 好評ジュンちゃんの顔ハメ看板コーナー。
少し時代は変りますが、これも古代浪漫です。「遣唐使・井真成(いのまなり)」
って誰やねん
着替えを済ませ、一睡もせずにすぐに出かけました。不眠症はこういう時は便利です。
なぜそこまでして出て行かなければならなかったかというと、この日奈良の明日香村で発見
されたピラミッド型古墳「都塚古墳」の説明会があったからです。
説明会が10:00からだと聞いていて少し時間があったので途中の駅にある橿原神宮へ
ちょっと寄り道しました。
橿原神宮は、御祭神・神武天皇が畝傍山の東南・橿原の地に宮を建てられ即位の礼を行われた
宮址に、明治23年に創建されました。第一代の天皇であり我が国建国の始祖となられた神武天皇と、
媛蹈韛五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)皇后が祀られています。
広く大きな神社でしたが、朝と暑さという事もあったので人は少なく優雅な気持ちで参拝しました。
時間に余裕を持って明日香村に着きたかったのですが、ギリギリの時間になってしまいました。
駅に着くとすごい人だかりでした。後のニュースで見ると4000人を超えていた模様。歴史好き
はこんなに居るのかと感心。あまりの人数の多さに説明会は1時間繰り上げて9:00に始まって
いたそうです。でもここまできたらどんなに人が並んでいても説明会に参加したいし、古墳の中も
一目見たくなるのも人情です。列に並んで1時間あまり、やっと現場に到着しました。あまりの人の
多さに写真を撮る事もできませんでした。説明を聞く頃にはポツポツと雨もありカメラを出す事さえ
できませんでした。ですので状況はYOUTUBEでご覧下さい。
都塚古墳は蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳からは400mほど南東にあり、今のところ馬子の父、
蘇我稲目ではないかといわれています。日本では例を見ないピラミッド型の古墳
として話題となり、今回このような盛況ぶりになりました。説明会は来る人グループ毎にしており、
しっかりと説明を聞かせていただきました。詳しい話は興味のない方には長々とした説明となります
のでここでは省略させていただきます。雨も本格的に降り出しそうでしたので早々に退散。明日香村
は何度も訪れた地、また訪問したいと思います。
これにて御免
P.S. 好評ジュンちゃんの顔ハメ看板コーナー。
少し時代は変りますが、これも古代浪漫です。「遣唐使・井真成(いのまなり)」
って誰やねん
意味不明?なイベント参加 [徒然]
先週の金曜日、木曜日に軽く山登りをしたにも関わらず、仕事が終わってからの夜23:00から
お盆という事で開かれたイベントに参加しました。何かとつるんで行動するのが苦手な私が
このイベントに参加したのは、知りたいという欲求からでした。そのイベントとは、
かつて大阪には「七墓巡り」という不思議な祭礼がありました。いつから成立したかはよくわかって
いませんが、近松門左衛門が書いた『賀古教信七墓廻』という浄瑠璃が元禄年間に上演された記録
があることから、当時の大坂の庶民の間では一般的に認知されていたと思われます。
四国八十八箇所や西国三十三箇所などの霊場を巡る文化は今も続いていますが、18世紀初頭の
元禄期から19世紀半ばの幕末まで、大阪七墓巡りがあったとすると、約150年間ほどこうした祭礼、
文化はあったはず。ところが、明治、大正、昭和の近代に入ると、跡形もなく消えてしまっています。
七墓巡りは「歌舞音曲のともにやっていた」そうなんですが、その歌も踊りもまったく継承されて
いません。文化はそない簡単になくなるものやないし、なにか別の形に変容しているのではないか?
そう考えると大阪の「盆踊り文化」っていうのが七墓巡りと混淆していったのではないのではない
でしょうか。大阪のさまざまな死者の供養の祭礼。お寺、墓地、地蔵堂、刑場を巡り供養する。
そんな七墓巡りを復活させようと3年前から始まっているそうです。
23:00に大阪で最も治安の悪いであろう「あいりん地区」のとある居酒屋の2Fにイベント参加者は
集合しました。その数なんと27人。老若男女、中には外国の方までおられました。
集まったところで出発です。ここから朝までの徹夜の巡礼が始まります。
なぜここで集合になったかは知りませんが、まずは最初の巡礼地の梅田までは地下鉄移動です。
真ん中の眼鏡をかけてピースサインをしている方が発起人の陸奥 賢 氏です。大阪では
有名なクリエイターの方でNPOまちらぼ代表、大阪府高齢者大学校の「まち歩きガイド科」の講師
でもあり、その他様々な方面で活躍されております。
それぞれの場所に由縁がありますがここでは省略させていただきます。また写真も夜中のお墓、
撮っていませんのでご了承下さい。梅田の墓地跡を始めに、南浜、葮原、蒲生、小橋、高津、千日、
鳶田と25kmを朝の7:30まで歩きました。
1箇所だけ紹介させていただきます。南浜にある「行基菩薩開基南濱墓所」です。
それまで土葬だった日本を火葬にしたのがこの行基です。全国に開基・行基のお寺さんが数多くある
のはご存知だと思います。聖武天皇により日本最初の大僧正の位を贈られ、日本の仏教において
大きな影響を与えています。墓所とはなっていますが、行基は生駒市往生院で火葬後竹林寺に遺骨
が奉納されています。
このように夜中の墓所行脚に過酷な歩行、電車も走っていないのに徐々にリタイヤ組が増えてきま
す。結局ゴールしたのは27人中12人でした。もちろん私は完歩しました。
感想としては、大阪の街は昔いかに血に染まった地であったかのかと思いました。大坂之陣、
江戸時代の刑場、大阪大空襲、かけがえの無い命がたくさん散った土地です。一つ一つ丁寧に
合掌し巡礼してきました。お盆に行われたイベント、意味があったのかなかったのかそれはわかり
ませんが、なんとも不思議なイベントでした。
P.S. 好評ジュンちゃんの顔ハメ看板コーナー。
近松門左衛門にちなんでお初天神にある「曽根崎心中」バージョンです。
心中したのに恋人たちの聖地とはこれいかに?
お盆という事で開かれたイベントに参加しました。何かとつるんで行動するのが苦手な私が
このイベントに参加したのは、知りたいという欲求からでした。そのイベントとは、
「大阪七墓巡り復活プロジェクト2014」
かつて大阪には「七墓巡り」という不思議な祭礼がありました。いつから成立したかはよくわかって
いませんが、近松門左衛門が書いた『賀古教信七墓廻』という浄瑠璃が元禄年間に上演された記録
があることから、当時の大坂の庶民の間では一般的に認知されていたと思われます。
四国八十八箇所や西国三十三箇所などの霊場を巡る文化は今も続いていますが、18世紀初頭の
元禄期から19世紀半ばの幕末まで、大阪七墓巡りがあったとすると、約150年間ほどこうした祭礼、
文化はあったはず。ところが、明治、大正、昭和の近代に入ると、跡形もなく消えてしまっています。
七墓巡りは「歌舞音曲のともにやっていた」そうなんですが、その歌も踊りもまったく継承されて
いません。文化はそない簡単になくなるものやないし、なにか別の形に変容しているのではないか?
そう考えると大阪の「盆踊り文化」っていうのが七墓巡りと混淆していったのではないのではない
でしょうか。大阪のさまざまな死者の供養の祭礼。お寺、墓地、地蔵堂、刑場を巡り供養する。
そんな七墓巡りを復活させようと3年前から始まっているそうです。
23:00に大阪で最も治安の悪いであろう「あいりん地区」のとある居酒屋の2Fにイベント参加者は
集合しました。その数なんと27人。老若男女、中には外国の方までおられました。
集まったところで出発です。ここから朝までの徹夜の巡礼が始まります。
なぜここで集合になったかは知りませんが、まずは最初の巡礼地の梅田までは地下鉄移動です。
真ん中の眼鏡をかけてピースサインをしている方が発起人の陸奥 賢 氏です。大阪では
有名なクリエイターの方でNPOまちらぼ代表、大阪府高齢者大学校の「まち歩きガイド科」の講師
でもあり、その他様々な方面で活躍されております。
それぞれの場所に由縁がありますがここでは省略させていただきます。また写真も夜中のお墓、
撮っていませんのでご了承下さい。梅田の墓地跡を始めに、南浜、葮原、蒲生、小橋、高津、千日、
鳶田と25kmを朝の7:30まで歩きました。
1箇所だけ紹介させていただきます。南浜にある「行基菩薩開基南濱墓所」です。
それまで土葬だった日本を火葬にしたのがこの行基です。全国に開基・行基のお寺さんが数多くある
のはご存知だと思います。聖武天皇により日本最初の大僧正の位を贈られ、日本の仏教において
大きな影響を与えています。墓所とはなっていますが、行基は生駒市往生院で火葬後竹林寺に遺骨
が奉納されています。
このように夜中の墓所行脚に過酷な歩行、電車も走っていないのに徐々にリタイヤ組が増えてきま
す。結局ゴールしたのは27人中12人でした。もちろん私は完歩しました。
感想としては、大阪の街は昔いかに血に染まった地であったかのかと思いました。大坂之陣、
江戸時代の刑場、大阪大空襲、かけがえの無い命がたくさん散った土地です。一つ一つ丁寧に
合掌し巡礼してきました。お盆に行われたイベント、意味があったのかなかったのかそれはわかり
ませんが、なんとも不思議なイベントでした。
これにて御免
P.S. 好評ジュンちゃんの顔ハメ看板コーナー。
近松門左衛門にちなんでお初天神にある「曽根崎心中」バージョンです。
心中したのに恋人たちの聖地とはこれいかに?