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信州長野(松本・長野・松代・上田)漫遊記(2日目・川中島古戦場跡編) [旅行]

2日目の朝、カーテンを開けたまま寝ていたため明るくなると目覚めました。この日も快晴
猛暑日の1日でした。
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7時から始まるホテルの朝食(パン、コーヒー、オレンジジュース、コンソメスープ)を急いで
食べ早速出発です。長野駅まで約5分、長野駅前バス停からアルピコバスで松代方面行き
に乗ってまずは川中島古戦場跡へとGO[バス][ダッシュ(走り出すさま)]
約20分で到着。川中島古戦場跡バス停降りてすぐに八幡原史跡公園があります。
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夏草や 兵どもが 夢の跡 
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ご存知だとは思いますが、川中島の戦いは、甲斐国(現在の山梨県)の戦国大名である
武田信玄(武田晴信)と越後国(現在の新潟県)の戦国大名である上杉謙信(長尾景虎)
との間で、北信濃の支配権を巡って行われた数次の戦いの事です。
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古戦場跡には八幡さまが奉られていました。
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信玄・謙信、龍虎の戦いの像
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周りに風林火山の旗ばかり目立ちましたが、上杉方毘沙門天の幟も飾って欲しいです。
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「三太刀七太刀の跡」。謙信が奇襲で信玄に三度切りつけた軍配に七つの傷が残っていたと
いう逸話です。
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「執念の石」。謙信に奇襲によって腕に傷を負った信玄。急を見て信玄のもとに駆けつけた家臣の
原大隅守虎胤※(はらおおすみのかみとらたね)は傍らにあった信玄の槍で馬上の謙信を突いた。
しかし、槍先ははずれ、拍子で驚いた馬が立ち上がり、一目散に走り去った。主君の危急を救い
ながらも、謙信を取り逃がした原大隅が、その無念さから傍らの石を槍で突き通したと伝えられる
のがこの執念の石だそうですが、槍で石に穴が開くかは疑問ですね。
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他にも見どころ満載です。「逆 槐」(さかさえんじゅ)。
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永禄4年(1561)の川中島合戦で、山本勘助の進言によって「啄木鳥(きつつき)の戦法」
をとることにした武田信玄は、八幡原のこの場所に土塁を積み重ね、矢来(やらい)を組み、
盾をめぐらして上杉軍挟撃の本陣をおいた。その際、土塁の土留めとして自生していた
槐(えんじゅ)の木を逆さにして打ち込んだものが、やがて芽を出し大樹になったと伝えられる。
木の周囲に残る低い土塁は、信玄本陣を示す桝形陣形跡といわれています。
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信濃なる 筑摩の川の さゞれ石も 君し踏みてば 玉と拾はむ     万葉集・東歌
この左手側が川中島の戦場です。
「真田一族を巡る旅やなかったんか[パンチ]アホ・ボケ・カス」
何もそこまで言わんでも・・・。次回ようよう松代へ。真田一族登場か?
これにて御免[exclamation][ダッシュ(走り出すさま)]


P.S. 昨夜はブログでお世話になっているKen_jpさんが大阪に旅行に来られお会いしました。
   この日ばかりは少し禁酒を破りましたが、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。
   

 


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