信州長野(松本・長野・松代・上田)漫遊記(2日目・松代編Part1) [旅行]
川中島古戦場跡を後にし、さあこれからがウォーキングの本番です。松代までバスを
待ってもいいんですが、そこは旅情を味わうため歩いて松代まで向いました。炎天下の元
約70分、大汗をカキながらの一人旅。おそらく連れがいたならば文句の一つも言われる
でしょう。だから私は旅をするのは一人がいいんです。途中高速の高架やいろんな所に
真田の紋「六連銭」があります。
よく真田の紋は三途の川の渡し賃の「六文銭」と言われますが、実際「六文銭」などございません。
一文銭が6つ繋がり六文になるわけで、真田の紋は「六連銭」というのが正解です。ではなぜ六文
なのでしょう?それは仏教の六道から来ています。仏教において迷いあるものが輪廻するという、
6種類の迷いある世界のことで、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の6つです。
この輪廻に入ることが三途の川の渡し賃と解釈されたのでしょう。
やっと松代駅に到着。長野電鉄屋代線の駅でしたが、2012年屋代線の廃線により廃駅となりました。
「きしゃぽっぽ」の歌碑がありましたが、所縁などはわかりません。
駅のすぐ近くに松代城がありました。武田信玄が川中島の戦いに備えて山本勘助に造らせた城で
武田軍の本陣となった城です。海津城とも呼ばれています。
さあここからがやっと真田一族を巡る所縁の地の旅となります。(松代城も一応江戸時代に入って
から明治維新まで真田信之以来真田氏の居城でした。)松代城近くにあるのが真田邸です。
入館料を払い中へ。特に変ったものも無く広い日本家屋でした。
なんと雪隠は畳張りです。いちいち掃除をするのは大変でしたでしょうね。
立派な日本庭園でした。
まだまだ松代の旅は続きますが、長くなりましたので後はPart2にての報告とさせていただきます。
(どんなけ引っ張るねん)
待ってもいいんですが、そこは旅情を味わうため歩いて松代まで向いました。炎天下の元
約70分、大汗をカキながらの一人旅。おそらく連れがいたならば文句の一つも言われる
でしょう。だから私は旅をするのは一人がいいんです。途中高速の高架やいろんな所に
真田の紋「六連銭」があります。
よく真田の紋は三途の川の渡し賃の「六文銭」と言われますが、実際「六文銭」などございません。
一文銭が6つ繋がり六文になるわけで、真田の紋は「六連銭」というのが正解です。ではなぜ六文
なのでしょう?それは仏教の六道から来ています。仏教において迷いあるものが輪廻するという、
6種類の迷いある世界のことで、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の6つです。
この輪廻に入ることが三途の川の渡し賃と解釈されたのでしょう。
やっと松代駅に到着。長野電鉄屋代線の駅でしたが、2012年屋代線の廃線により廃駅となりました。
「きしゃぽっぽ」の歌碑がありましたが、所縁などはわかりません。
駅のすぐ近くに松代城がありました。武田信玄が川中島の戦いに備えて山本勘助に造らせた城で
武田軍の本陣となった城です。海津城とも呼ばれています。
さあここからがやっと真田一族を巡る所縁の地の旅となります。(松代城も一応江戸時代に入って
から明治維新まで真田信之以来真田氏の居城でした。)松代城近くにあるのが真田邸です。
入館料を払い中へ。特に変ったものも無く広い日本家屋でした。
なんと雪隠は畳張りです。いちいち掃除をするのは大変でしたでしょうね。
立派な日本庭園でした。
まだまだ松代の旅は続きますが、長くなりましたので後はPart2にての報告とさせていただきます。
(どんなけ引っ張るねん)
これにて御免