和歌山九度山漫遊記(街中ブラブラ編) [徒然]
先週はすこぶる体調が悪く、仕事は何とかこなしていましたがブログ更新する気力は
完全に失せておりました。九度山報告すると言いながら遅れまして申し訳ございません。
土日に完全に寝込んでしまいましたが今週やっと復活の兆し。頑張っていこうと思います。
さて九度山報告の続きです。デジイチの設定ミスでファイルサイズOVERの画像も編集
し直し完了しましたので高野山の入り口の町を紹介させていただきます。
南海高野線で橋本まで1時間そして乗り継ぎ高野山極楽橋行で約20分で九度山到着です。
新しい駅看板は何かオシャレです。
九度山は関ヶ原で破れた真田昌幸、幸村親子が幽閉された町、そして高野山への登山口でも
あるので歴史ポイントがたくさんあります。
高野山極楽橋までは単線鉄道です。改札は一つなので歩道橋を渡り向かいの改札へ。
駅舎も古く、電車も一時間に2本ぐらいなので小さな寂れた駅です。でもこの日は街中イベント
なので小さい駅にも人でいっぱいでした。
駅前から九度山のメインストリート「真田のみち」が続きます。
この日は真田のみち商店街で「九度山まちなか楽市楽座」というイベントもあり、ウォークラリー
とも重なって賑わいを見せていました。
街中真田一色です。普通の民家にも真田の飾りなどいっぱいです。
温泉街でもないのになぜか射的場がありました。常設かどうかはわかりません。
旧萱野家(大石順教尼の記念館)、時間が早かったので開館前でしたので詳しくはわかりません。
対面石(真田幸村を神として祀っています。)
真田の抜け穴。後に紹介する真田庵からの抜け道になった穴です。
幸村庵。かつて幸村が九度山にやって来た時、ふるさと信州上田から一緒に伝えたといわれた
蕎麦が食べられる蕎麦屋さんです。
そのすぐ近くにあるのが真田庵です。昌幸、幸村親子が住んでいた屋敷跡に建てられた寺です。
真田昌幸が祀られた「真田大権現」です。
このあと道の駅「柿の里くどやま」、「慈尊院」へと向いました。その模様はまた次回に。
戻ってくる頃に楽市楽座のイベントも盛り上がっており、ちんどん屋も街中練り歩いていました。
では次回は九度山の由来でもある「慈尊院」をお楽しみに。皆様のもとへの訪問は帰宅後に。
P.S. 好評ジュンちゃんの顔ハメ看板コーナー。
完全に失せておりました。九度山報告すると言いながら遅れまして申し訳ございません。
土日に完全に寝込んでしまいましたが今週やっと復活の兆し。頑張っていこうと思います。
さて九度山報告の続きです。デジイチの設定ミスでファイルサイズOVERの画像も編集
し直し完了しましたので高野山の入り口の町を紹介させていただきます。
南海高野線で橋本まで1時間そして乗り継ぎ高野山極楽橋行で約20分で九度山到着です。
新しい駅看板は何かオシャレです。
九度山は関ヶ原で破れた真田昌幸、幸村親子が幽閉された町、そして高野山への登山口でも
あるので歴史ポイントがたくさんあります。
高野山極楽橋までは単線鉄道です。改札は一つなので歩道橋を渡り向かいの改札へ。
駅舎も古く、電車も一時間に2本ぐらいなので小さな寂れた駅です。でもこの日は街中イベント
なので小さい駅にも人でいっぱいでした。
駅前から九度山のメインストリート「真田のみち」が続きます。
この日は真田のみち商店街で「九度山まちなか楽市楽座」というイベントもあり、ウォークラリー
とも重なって賑わいを見せていました。
街中真田一色です。普通の民家にも真田の飾りなどいっぱいです。
温泉街でもないのになぜか射的場がありました。常設かどうかはわかりません。
旧萱野家(大石順教尼の記念館)、時間が早かったので開館前でしたので詳しくはわかりません。
対面石(真田幸村を神として祀っています。)
真田の抜け穴。後に紹介する真田庵からの抜け道になった穴です。
幸村庵。かつて幸村が九度山にやって来た時、ふるさと信州上田から一緒に伝えたといわれた
蕎麦が食べられる蕎麦屋さんです。
そのすぐ近くにあるのが真田庵です。昌幸、幸村親子が住んでいた屋敷跡に建てられた寺です。
真田昌幸が祀られた「真田大権現」です。
このあと道の駅「柿の里くどやま」、「慈尊院」へと向いました。その模様はまた次回に。
戻ってくる頃に楽市楽座のイベントも盛り上がっており、ちんどん屋も街中練り歩いていました。
では次回は九度山の由来でもある「慈尊院」をお楽しみに。皆様のもとへの訪問は帰宅後に。
これにて御免
P.S. 好評ジュンちゃんの顔ハメ看板コーナー。
幸村、真田十勇士見参
という事はこのシリーズがあと10回続くのか?