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少し遅れた墓参り~徳島へ~(高松編) [旅行]

お盆も過ぎ夏ももうすぐ終わりに近付いた今日この頃、母親から電話がありました。
「今年のお盆、お父ちゃんの具合が悪かったから墓参り行かれへんかってん。あんた
ちょっと行ってきてくれへんか。」との事。以前も書いたと思いますが、我が家系には
お墓が2つ存在します。一つはいつも弟が車があるので父、母とともに行く徳島にある本家
のお墓。そしてもう一つが私が行く奈良にある放浪画家でその地で死んだ曽祖父のお墓です。
小さい頃に行ったきりすっかりご無沙汰しておりましたし、これは「行っとかなアカン[バス]」と思った
わけです。青春18きっぷもまだ2日分残っていますし行ってきました。色々調べますと、
青春18きっぷを使わなければ高速バスなどを使って日帰りも出来ますが、使いますと
無理と判明。(大阪5:00発ならギリギリ帰ってこられますが、我が家から大阪駅まで5:00に
着くのが始発でも無理なんです。)徳島で一泊のプチ旅となりました。
6:00に家を出発後、大阪ー姫路ー岡山ー高松と順調に進んでいましたが、高松で徳島に向う
JR高徳線が2時間後にしかありません。(特急は何本かありましたが)これが日帰りできない
理由でもありますが、私はちょっとラッキーと思い高松で途中下車。少し高松観光をしました。
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正面から見ると人の顔になっています。
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駅前にあったのが香川県のマスコット「青鬼くん」です。桃太郎伝説の鬼ヶ島(女木島)がある
からでしょうか?
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向った場所は高松城址です。玉藻城とも呼ばれ、現在は玉藻公園になっています。
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高松城は豊臣秀吉の四国制圧後、讃岐国の領主になった生駒親正によって1580年築城
されました。日本100名城(77番)に選定されていて、城郭の形式は輪郭式平城で、本丸を中心に
二の丸、三の丸、北の丸、東の丸、桜の馬場、西の丸が時計回りに配置され、3重に堀が廻らされ
ていたそうです。現在は内堀と中堀の一部を除いて埋め立てられています。
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月見櫓は重要文化財です。
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蛸橋を渡ると本丸です。
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が、もちろん廃城に伴い本丸はありません。
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城内には披雲閣(重要文化財)があり、松平家の高松別邸として、1917年(大正6年)に竣工した
近代和風住宅建築です。
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かつては城壁が海に面していて、外濠・中濠・内濠の全てに海水が引き込まれ、城内に直接軍船が
出入りできるようになっており、水軍の運用も視野に入れ設計されていた日本初の本格的な海城
だったそうです。海城は海上封鎖が難しく、水攻めや水断ちといった攻城手段が使えないため
戦争時の篭城や物資の搬入、脱出ができ、近世の縄張りとしては有利であったと言われています。
山城、平城、海城それぞれの特徴があって実に面白いですね。残念ながら顔ハメ看板はありません
でした[もうやだ~(悲しい顔)]残念無念[バッド(下向き矢印)]
高松発は12:50です。昼食はもちろん高松ですから讃岐うどんをいただきました。麺の大きさだけ
注文し、トッピング、出汁、薬味はセルフサービスです。私は大サイズを注文。トッピングにはきつね
のお揚げさんと大好きなナスの天ぷらをチョイス。おにぎりも追加で計590円です。
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お腹も満足、さあ徳島へ                    次回の徳島編へ続く
これにて御免[exclamation][ダッシュ(走り出すさま)]



P.S.    好評[exclamation&question]ジュンちゃんの顔ハメ看板コーナー。[決定]
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やせ蛙負けるな一茶これにあり



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信州長野(松本・長野・松代・上田)漫遊記(3日目・上田編) [旅行]

3泊4日信州の旅レポも今回が最終回です。真田を後にし上田に戻ってきました。
休む間もなく「上田城跡公園」へ。駅から歩いて20分ぐらいですが、足はガクガク
そしてマメや水ぶくれ、満身創痍です。足を引きずりながらやっと到着。
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上田城は、甲斐武田氏の旧臣である真田昌幸により、1583年(天正11年)に築城された平城です。
天守は築城当時からなく、昌幸が築城するにあたり、天守は戦には目立つだけでメリットがないと
言う事で造られませんでした。真田家にとっては立派な天守は必要なかったのでしょう。
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今は本丸南櫓と東虎口櫓門が残されています。東虎口櫓門には入ることができます。入場料は
250円。これで市立博物館と山本鼎(画家)記念館と共通入場券になります。
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特に中は何もなく少しの展示品と景色を眺める程度です。
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本丸南櫓
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本丸跡には、明治に松平神社として建立された歴代城主を祀った神社があり「真田神社」と呼ばれて
います。
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境内にでっかい幸村の兜があります。この赤く六連銭の前立てに鹿の角の脇立ては有名ですが、
実は大坂之陣でしか使われていません。
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本丸跡は緑の多い気持ちのいい公園になっています。
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少し見にくい写真で申し訳ございませんが、城の周りは千曲川から流れ込む尼ヶ淵によって掘が
周りを囲んでいます。
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このことから上田城は尼ヶ淵城とも呼ばれています。この小さい城がなぜ注目を集めるのか?
それはやはり2度に渡る上田の合戦を守り抜いたからでしょう。
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第1次上田合戦では徳川家康7000人の軍勢に対し2000人の軍勢で立ち向かい撃退します。
これだけでも昌幸の戦略はすごいと思いますが、やはり注目は第2次上田合戦です。
豊臣秀吉が天下を統一し、しばらく動乱は治まりますが、慶長5年(1600)に関ケ原の戦いが
起こります。秀吉没後の覇権を、徳川家康と石田三成が争ったこの戦いで、昌幸と次男の幸村は
石田方に、長男の信之は徳川方に別れて戦うことになります。 石田方についた昌幸と幸村は、
上田城に立てこもり、東山道を西上する徳川秀忠軍3万8000人に対して、わずか2500人で籠城戦
を行います。この第二次上田合戦では、徳川秀忠軍は、7日間上田に釘(くぎ)づけとなり、関ケ原
での石田三成との決戦に間に合わず、家康の激怒をかっています。しかし関ケ原の戦いは、
石田方の敗北に終わり、昌幸と幸村は、九度山(和歌山県)に幽閉されます。
そして、徳川方に接収された上田城は一度破壊されます。堀を埋めて、塀を壊し、櫓(やぐら)などの
建物はいうまでもなく壊され、廃城となりました。その後、上田領を家康から与えられた長男の信之が
引き継ぐことになります。
大坂之陣でも証明されますが、いかに昌幸、幸村が優れた軍師であったことがおわかりになる
でしょう。公園内にあるのが市立博物館と山本鼎(画家)記念館ですが、共通入場券があったので
入りましたが特に見るべきものはありませんでした。(私にとっては)
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次に向ったのが公園から歩いて10分ほどのところにあるのが、「池波正太郎真田太平記館」です。
残念ながらここも館内撮影NG。著書「真田太平記」の世界を紹介する文学館とガイドにはありました
が、約半分は池波氏の歴史が紹介されており私には興味ございません。しかし、真田太平記を
モデルにした映像の世界は非常に興味深く面白いものでした。
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最終日のホテルは上田駅のすぐ近く「ホテルカドマン」です。
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建物自体古いビジネスホテルです。1泊3500円とカプセルホテル並なのであまりクレームは
つけたくありませんが、部屋の狭さはともかく冷房が館内全体の空調であまり効いていない。
室内冷蔵庫もなく、テレビは昔のブラウン管型で画像も電波状況が悪いのか見にくいテレビ。
明日の長旅に備えて早めに就寝しました。
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翌朝7:00出発。来た時の逆で帰路に着きました。朝食は上田駅のコンビニでサンドイッチと牛乳。
昼食は旅の醍醐味の一つ、駅弁を購入。
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ハードな旅でしたが充実した旅でした。改めて真田幸村が好きになりました。今度はいずこへ歴史旅。
また楽しみにしています。
今回の旅ではバス、しなの鉄道の移動を除き、青春18きっぷで使用した区間は、
往路  大阪~松本~長野    7340円
復路  篠ノ井~大阪       7020円(上田~篠ノ井は、私鉄しなの鉄道)
合計 14360円  前回の姫路の旅では4340円  総計 18700円
青春18きっぷは11850円。十分元は取れました。まだ2日分残っています。さて9月10日まで
何処へ行こうか思案中です。
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これにて御免[exclamation][ダッシュ(走り出すさま)]



P.S.   フェイスブックの「関西顔ハメ看板普及委員会」というのに所属しています。私は昔から
       一人旅ですので、顔ハメ看板があるとハメたくて仕方ありませんでした。今回勇気をふり
       しぼり、公園管理者の方にお願いして撮ってもらいました。「わしが幸村じゃ~[exclamation×2]
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信州長野(松本・長野・松代・上田)漫遊記(3日目・真田編) [旅行]

朝7時から始まるホテルの朝食を頬張りすぐにチェックアウト。長野からJR篠ノ井経由、そのまま
直通の私鉄しなの鉄道で上田まで向いました。
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そこから上田バスで20分、いよいよ真田一族発祥の地、真田の村を巡ります。まず下原を下車して
すぐにある真田氏記念公園。猫の額ほどの小さな広場です。
池波正太郎書の「真田氏発祥の郷」の碑が立っています。
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真田の里のシンボル、昌幸、幸村、幸隆のレリーフ像も立っています。
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さあここからがハードな旅の始まりです。公園にあった「真田三代ゆかりの地マップ」を見て出発。
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向かうは真田氏館跡御屋敷公園と隣接する真田氏歴史館です。ここから山道2,2km登ります。
朝の8時過ぎ。この日も猛暑日、早くも暑くなってきています。駅のコンビニで買った凍ったスポーツ
ドリンク2本は正解でした。道中に出会う様々な風景にも元気や癒しがもらえる事ができます。
1本の茎からこんなに花を咲かすヒマワリを見たのは初めてです。
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猫も暑さにグッタリか、それとも早い昼寝なのか。屋根の上の影に陣取っています。
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山深く入りやっとの事で標高763m真田氏館跡御屋敷公園に到着。松代にも真田邸はありましたが、
こちらが真田氏の原点といってもいいでしょう。
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中央には皇大神宮が祀られています。
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何もありませんが、ここが真田家の馬舎があった所だそうです。地元のゲートボールをやっていた
おばあさんに教えていただきました。
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すぐ奥に真田氏歴史館です。ここも貴重な資料がたくさん展示されていました。館内撮影NGです。
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さらにさらに登ります。車で行くには菅平へ続く144号線をずっと上って行けます。
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が、徒歩ではさらに約3kmの山道。もう上田の街は遥かに下に見下ろせます。
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ヘロヘロになりながらやっと到着。
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と思いきや、この入り口の碑よりさらに登ります。もうイヤッ[がく~(落胆した顔)]
約200m登って頂上に着くとやっと到着。入り口に諏訪神社の小さな祠がありました。
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真田氏本城跡です。山城なので天守、堀、石垣などはありません。静かな森の空気が漂います。
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小さなお地蔵さんが鎮座されていました。
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真田本城跡と言われてもな~んにもございません。
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別名「松尾城」と呼ばれ天文年間(1532~1555)に真田幸隆によって築城。天文10年(1541年)
に武田信虎、諏訪頼重、村上義清連合軍との戦い(海野平の戦い)により、滋野氏嫡流の海野棟綱
と共に真田幸隆は本領を奪われますが、天文20年(1551年)に、武田信玄の命を受けた幸隆が
戸石城を奪取して小県の本領を回復した後、幸隆・信綱・昌幸の三代に渡って真田本城およびその
支城群が整備され、上田城に移るまで真田氏の本城であったと考えられています。
もうここで体はガタガタ、汗はビッショリ。山上で心地いい風をしばらく浴びて下山しました。
しかし山は登りの方がしんどいですが、下りは足に相当負担がかかります。一気に下りました。
ただでさえ足に不安がある体。転ぶ事数回、擦り傷だらけでやっとのことでバス停到着です。
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しかし通常でも1時間に1本の路線ですが、12時の1時間のダイヤがありません。次のバスまで
1時間半、ちょうど昼時だったので近くの食堂にて昼食。おすすめと書かれていた定食を注文。
ラーメン、もつ煮、半ライスで1000円。味は・・・。
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ラーメンはなんの特徴もない普通の醤油ラーメンです。問題はもつ煮。とにかく臭い。おそらく下処理
せずに煮込んだのでしょう。味噌仕立てでしたが臭みが全く取れていなくて大量の七味をかけて食べ
ました。充実したこの旅でしたが、食に関してはちょっと残念な旅でした。
                次回は最終回、上田城と上田の街を巡り上田泊、翌日大阪への帰路へ。
これにて御免[exclamation][ダッシュ(走り出すさま)]



P.S.  昨日、会社帰りに阪神百貨店に寄りました。催し物は『空海展』でした。
      大曼荼羅図は圧巻。また空海上人の3Dプリンターで再現された像もあり、それは触る事
      が出来、手を合わせてきました。
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      超ミニチュアの法具、五鈷杵、三鈷杵、独鈷杵が入るお守りを購入。
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信州長野(松本・長野・松代・上田)漫遊記(2日目・善光寺編) [旅行]

長野に戻り急いで善光寺へ。拝観が16:30までなので、急げ急げと行ってきました。
定額山・善光寺。信濃の人若麻続東人(本田善光)が別の所で草堂を営んだのが始まりとされ、
飛鳥時代の皇極天皇元年(642年)、現在地に伽藍が造営されました。
善光寺の交差点からまず見えるのが大本願です。
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この大本願をはじめ大勧進など39の塔頭からなる5万9000㎡からなる大寺院です。
本堂まではまだまだあります。この不動尊も39の塔頭の一つです。
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仁王門は火災焼失のため大正7年に再建されたもので、左右に立つ阿吽の仁王像は
高さ5mの檜造りで、高村光雲と弟子の米原雲海による傑作です。
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山門までにあるのが六地蔵とぬれ仏(延命地蔵)です。
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立派な山門です。この山門は上に上ることもできるのですが、入場料がいるのと時間の関係でパス。
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本堂も立派。本堂に上るのは無料ですが、本尊近くまで行くためには本堂内陣拝観料が必要なので
ここも外側まで。堂内に上がり遠くからご本尊に手を合わせました。
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国内でも有数の古刹です。「牛に引かれて善光寺参り」は全国的に知られています。
昔、長野の善光寺近くに住んでいた不信人で欲深い老婆が、さらしていた布を隣の家の牛が
角に引っかけて走り出したのを見て、その牛を追っていくうちに善光寺にたどり着き、それが
きっかけで度々善光寺に参詣するようになり、信仰の道に入ったという言い伝えから、思いがけず
他人に連れられて、ある場所へ出掛けること。また、他人の誘いや思いがけない偶然で、
よい方面に導かれることのたとえとされています。 一生に一度はお参りしないと極楽に行けないと
参拝者が絶えないそうで、このお寺さんは特定の宗派に属さず(四天王寺さんと同じですね。)、
天台宗と浄土宗の僧が共同で、本尊である絶対秘仏・一光三尊阿弥陀如来像を守っています。
経蔵
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日本忠霊殿
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鐘楼
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全部周るには時間が少なすぎました。急いで周りましたのでそれぞれ詳しく説明できずスイマセン。
いろいろ巡った2日目でした。この日も長野泊。昨日と同じホテルです。チェックインする前に夕食
です。もちろん長野と言えば信州そばでしょう。駅前ガイドにて人気銘店をリサーチし行ってきました。
行ってみると盛況ぶりに期待値も上ります。天ざるを注文しました。1650円、少しお高いのでは・・・
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食レポ感想。信州産のそば粉を使った二八そば、麺はそれなりに美味しかった。しかし流通事情が
いい昨今。これぐらいは大阪でも食べられます。しかしいただけないのがつゆです。これは関東以北
で全般に言えると思うのですが、出汁が鰹出汁のみで昆布の旨みがない単調な味です。これでは
満足したとは言えません。厳しいようですがこの味この値段で大阪で店を始めても半年ともたない
でしょう。期待値が高かった分少々ガッカリして店をでました。
次回からいよいよ真田、上田に向かいます。この旅最強のハードな旅になりました。その報告は
また次回に。
これにて御免[exclamation][ダッシュ(走り出すさま)]



P.S.     実は小百合ストです。このミニ写真集が欲しいがため、読みもしない週刊ポスト
         を買ってしまいました。よう考えたら私より18才も年上。信じられな~い。
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信州長野(松本・長野・松代・上田)漫遊記(2日目・松代編Part2) [旅行]

真田邸を後にし、次に行ったのがすぐ近くの文武学校です。真田邸とこの文武学校、そして次に紹介
する真田宝物館へは共通入場券400円で入ることができます。この文武学校は真田氏所縁と言って
も幕末時代安政2年(1855年)に九代藩主・真田幸教のときに開校された藩校で、蘭学や医学、
そして武道や西洋砲術に力を入れたそうです。
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残念ながら校舎は修繕工事中で中まで見ることはできませんでした。
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砲術、弓道場はピンと空気が張りつめた感じがします。
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槍道場も広く、やっぱりここでは幸村の十文字槍が伝承されたのでしょうか。
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文武学校のすぐ近くに真田宝物館があります。
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残念ながら館内撮影はNGですが、貴重な真田家に伝わる武具や大名道具、また信玄、秀吉、家康
らの古文書をはじめ、服飾、調度品、道具類など数万点の収蔵品の中から、年4回入れ替えて展示
しているそうです。真田信綱の青江太刀(重要文化財)も展示。真田家が信玄に仕えてから江戸時代
に渡るまでの代々の歴史がわかり非常に興味深い施設でした。
館内を見終わるとちょうどお昼時、まだ信州らしい物を食していなかったので「おやき」を食べました。
定番の野沢菜、なす味噌、つぶあんをチョイス。残念ながら「これは旨い[手(チョキ)]」というほどではありませ
んでした。こんなもんかと思っていたらサービスで出た白菜の塩漬けが一番美味しかったです。
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松代最後は真田家の菩提寺、長国寺へと向いました。約20分のウォーキング。
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立派な本堂です。
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本堂の屋根にはやっぱり大きな六連銭が書かれています。
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本堂に上りたかったのですが、曹洞宗の禅寺なのでどこかの団体が座禅研修をしていたためNG。
境内をぐるりと散策。
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なぜか真田家代々のお墓には入場料が必要でした。座禅でお坊さんたち手がいっぱいで入ること
が出来ませんでした。これまた残念。入り口から一枚。
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再び20分歩き松代駅へ。バスにて急いで長野に戻ります。この時点でもう15時。次は時間があれば
行こうと思っていた善光寺へ。その報告はまた次回。
これにて御免[exclamation][ダッシュ(走り出すさま)]

しかし残念ながらの多い日でした。


P.S.   昨日は仕事が終わってから、月例の旭堂南陵一門会に行ってきました。
       筆頭弟子の小二三さんが演じる「難波戦記」の続き読みはまさに幸村の活躍を語る
       お話です。講談を聞きながら旅の想い出に浸っていました。
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