信州長野(松本・長野・松代・上田)漫遊記(2日目・松代編Part1) [旅行]
川中島古戦場跡を後にし、さあこれからがウォーキングの本番です。松代までバスを
待ってもいいんですが、そこは旅情を味わうため歩いて松代まで向いました。炎天下の元
約70分、大汗をカキながらの一人旅。おそらく連れがいたならば文句の一つも言われる
でしょう。だから私は旅をするのは一人がいいんです。途中高速の高架やいろんな所に
真田の紋「六連銭」があります。
よく真田の紋は三途の川の渡し賃の「六文銭」と言われますが、実際「六文銭」などございません。
一文銭が6つ繋がり六文になるわけで、真田の紋は「六連銭」というのが正解です。ではなぜ六文
なのでしょう?それは仏教の六道から来ています。仏教において迷いあるものが輪廻するという、
6種類の迷いある世界のことで、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の6つです。
この輪廻に入ることが三途の川の渡し賃と解釈されたのでしょう。
やっと松代駅に到着。長野電鉄屋代線の駅でしたが、2012年屋代線の廃線により廃駅となりました。
「きしゃぽっぽ」の歌碑がありましたが、所縁などはわかりません。
駅のすぐ近くに松代城がありました。武田信玄が川中島の戦いに備えて山本勘助に造らせた城で
武田軍の本陣となった城です。海津城とも呼ばれています。
さあここからがやっと真田一族を巡る所縁の地の旅となります。(松代城も一応江戸時代に入って
から明治維新まで真田信之以来真田氏の居城でした。)松代城近くにあるのが真田邸です。
入館料を払い中へ。特に変ったものも無く広い日本家屋でした。
なんと雪隠は畳張りです。いちいち掃除をするのは大変でしたでしょうね。
立派な日本庭園でした。
まだまだ松代の旅は続きますが、長くなりましたので後はPart2にての報告とさせていただきます。
(どんなけ引っ張るねん)
待ってもいいんですが、そこは旅情を味わうため歩いて松代まで向いました。炎天下の元
約70分、大汗をカキながらの一人旅。おそらく連れがいたならば文句の一つも言われる
でしょう。だから私は旅をするのは一人がいいんです。途中高速の高架やいろんな所に
真田の紋「六連銭」があります。
よく真田の紋は三途の川の渡し賃の「六文銭」と言われますが、実際「六文銭」などございません。
一文銭が6つ繋がり六文になるわけで、真田の紋は「六連銭」というのが正解です。ではなぜ六文
なのでしょう?それは仏教の六道から来ています。仏教において迷いあるものが輪廻するという、
6種類の迷いある世界のことで、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の6つです。
この輪廻に入ることが三途の川の渡し賃と解釈されたのでしょう。
やっと松代駅に到着。長野電鉄屋代線の駅でしたが、2012年屋代線の廃線により廃駅となりました。
「きしゃぽっぽ」の歌碑がありましたが、所縁などはわかりません。
駅のすぐ近くに松代城がありました。武田信玄が川中島の戦いに備えて山本勘助に造らせた城で
武田軍の本陣となった城です。海津城とも呼ばれています。
さあここからがやっと真田一族を巡る所縁の地の旅となります。(松代城も一応江戸時代に入って
から明治維新まで真田信之以来真田氏の居城でした。)松代城近くにあるのが真田邸です。
入館料を払い中へ。特に変ったものも無く広い日本家屋でした。
なんと雪隠は畳張りです。いちいち掃除をするのは大変でしたでしょうね。
立派な日本庭園でした。
まだまだ松代の旅は続きますが、長くなりましたので後はPart2にての報告とさせていただきます。
(どんなけ引っ張るねん)
これにて御免
信州長野(松本・長野・松代・上田)漫遊記(2日目・川中島古戦場跡編) [旅行]
2日目の朝、カーテンを開けたまま寝ていたため明るくなると目覚めました。この日も快晴
猛暑日の1日でした。
7時から始まるホテルの朝食(パン、コーヒー、オレンジジュース、コンソメスープ)を急いで
食べ早速出発です。長野駅まで約5分、長野駅前バス停からアルピコバスで松代方面行き
に乗ってまずは川中島古戦場跡へとGO
約20分で到着。川中島古戦場跡バス停降りてすぐに八幡原史跡公園があります。
夏草や 兵どもが 夢の跡
ご存知だとは思いますが、川中島の戦いは、甲斐国(現在の山梨県)の戦国大名である
武田信玄(武田晴信)と越後国(現在の新潟県)の戦国大名である上杉謙信(長尾景虎)
との間で、北信濃の支配権を巡って行われた数次の戦いの事です。
古戦場跡には八幡さまが奉られていました。
信玄・謙信、龍虎の戦いの像
周りに風林火山の旗ばかり目立ちましたが、上杉方毘沙門天の幟も飾って欲しいです。
「三太刀七太刀の跡」。謙信が奇襲で信玄に三度切りつけた軍配に七つの傷が残っていたと
いう逸話です。
「執念の石」。謙信に奇襲によって腕に傷を負った信玄。急を見て信玄のもとに駆けつけた家臣の
原大隅守虎胤※(はらおおすみのかみとらたね)は傍らにあった信玄の槍で馬上の謙信を突いた。
しかし、槍先ははずれ、拍子で驚いた馬が立ち上がり、一目散に走り去った。主君の危急を救い
ながらも、謙信を取り逃がした原大隅が、その無念さから傍らの石を槍で突き通したと伝えられる
のがこの執念の石だそうですが、槍で石に穴が開くかは疑問ですね。
他にも見どころ満載です。「逆 槐」(さかさえんじゅ)。
永禄4年(1561)の川中島合戦で、山本勘助の進言によって「啄木鳥(きつつき)の戦法」
をとることにした武田信玄は、八幡原のこの場所に土塁を積み重ね、矢来(やらい)を組み、
盾をめぐらして上杉軍挟撃の本陣をおいた。その際、土塁の土留めとして自生していた
槐(えんじゅ)の木を逆さにして打ち込んだものが、やがて芽を出し大樹になったと伝えられる。
木の周囲に残る低い土塁は、信玄本陣を示す桝形陣形跡といわれています。
信濃なる 筑摩の川の さゞれ石も 君し踏みてば 玉と拾はむ 万葉集・東歌
この左手側が川中島の戦場です。
「真田一族を巡る旅やなかったんかアホ・ボケ・カス」
何もそこまで言わんでも・・・。次回ようよう松代へ。真田一族登場か?
P.S. 昨夜はブログでお世話になっているKen_jpさんが大阪に旅行に来られお会いしました。
この日ばかりは少し禁酒を破りましたが、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。
猛暑日の1日でした。
7時から始まるホテルの朝食(パン、コーヒー、オレンジジュース、コンソメスープ)を急いで
食べ早速出発です。長野駅まで約5分、長野駅前バス停からアルピコバスで松代方面行き
に乗ってまずは川中島古戦場跡へとGO
約20分で到着。川中島古戦場跡バス停降りてすぐに八幡原史跡公園があります。
夏草や 兵どもが 夢の跡
ご存知だとは思いますが、川中島の戦いは、甲斐国(現在の山梨県)の戦国大名である
武田信玄(武田晴信)と越後国(現在の新潟県)の戦国大名である上杉謙信(長尾景虎)
との間で、北信濃の支配権を巡って行われた数次の戦いの事です。
古戦場跡には八幡さまが奉られていました。
信玄・謙信、龍虎の戦いの像
周りに風林火山の旗ばかり目立ちましたが、上杉方毘沙門天の幟も飾って欲しいです。
「三太刀七太刀の跡」。謙信が奇襲で信玄に三度切りつけた軍配に七つの傷が残っていたと
いう逸話です。
「執念の石」。謙信に奇襲によって腕に傷を負った信玄。急を見て信玄のもとに駆けつけた家臣の
原大隅守虎胤※(はらおおすみのかみとらたね)は傍らにあった信玄の槍で馬上の謙信を突いた。
しかし、槍先ははずれ、拍子で驚いた馬が立ち上がり、一目散に走り去った。主君の危急を救い
ながらも、謙信を取り逃がした原大隅が、その無念さから傍らの石を槍で突き通したと伝えられる
のがこの執念の石だそうですが、槍で石に穴が開くかは疑問ですね。
他にも見どころ満載です。「逆 槐」(さかさえんじゅ)。
永禄4年(1561)の川中島合戦で、山本勘助の進言によって「啄木鳥(きつつき)の戦法」
をとることにした武田信玄は、八幡原のこの場所に土塁を積み重ね、矢来(やらい)を組み、
盾をめぐらして上杉軍挟撃の本陣をおいた。その際、土塁の土留めとして自生していた
槐(えんじゅ)の木を逆さにして打ち込んだものが、やがて芽を出し大樹になったと伝えられる。
木の周囲に残る低い土塁は、信玄本陣を示す桝形陣形跡といわれています。
信濃なる 筑摩の川の さゞれ石も 君し踏みてば 玉と拾はむ 万葉集・東歌
この左手側が川中島の戦場です。
「真田一族を巡る旅やなかったんかアホ・ボケ・カス」
何もそこまで言わんでも・・・。次回ようよう松代へ。真田一族登場か?
これにて御免
P.S. 昨夜はブログでお世話になっているKen_jpさんが大阪に旅行に来られお会いしました。
この日ばかりは少し禁酒を破りましたが、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。
信州長野(松本・長野・松代・上田)漫遊記(初日・大阪~松本~長野編) [旅行]
7月29日(火)快晴。朝からジリジリと暑くなりつつある朝、6時前に家を出ました。今回の
旅の目的は今年大阪冬之陣から400年、真田一族を巡る旅です。まあそれ以外のところ
も少し周りましたので、3泊4日の旅を何回かに分けて紹介させていただきます。
ちょっとハード、でも楽しい青春18きっぷの旅です。狭い日本そんなに急いで何処に行く。
風景をゆっくり眺めながらゆったりとした気分はこのきっぷならではの旅です。
まず初日の行程を並べますと、
自宅5:55―徒歩―大日6:01発―地下鉄谷町線―東梅田6:18着―徒歩―JR大阪6:33発―
JR京都線米原行新快速―米原8:00着8:03発―JR東海道本線大垣行―大垣8:37着8:42発
―JR東海道本線豊橋行―名古屋9:15着9:24発―JR中央本線中津川行快速―中津川10:39着
11:00発―JR中央本線坂下行―坂下11:09着11:15発―南木曽災害のため代行バス野尻行―
野尻12:05着12:31発(この間コンビニでおにぎり3個にて昼食)―JR中央本線松本行―松本
14:15着―松本城観光―16:34発ーJR篠ノ井線長野行―17:50長野着という行程でした。
代行バスがあったため日本海側を周る強行突破は避ける事ができました。且つ松本城を観光する
余裕まであり得した気分です。国宝松本城は駅から歩いてすぐです。
途中縄手通りでガマ侍がお出迎えです。下を流れる女鳥羽川にカジカガエルがたくさんいたそうです。
平日なのに松本城は大盛況で堀の周りをぐるりと散歩し天守にも入ったのですが、まるでところてん
でも押し出されるようにゆっくりと周ることができませんでした。狭い階段と通路は込み合い展示物を
見る余裕もありません。でも流石国宝松本城、どっしりとした城構え、悠然たる姿は今の派手な大阪城
にはないものがあります。
松本城のウィキペディアはhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E5%9F%8E
どうせ私は一人旅、ハトまでカップルで松本観光です。
もうちょっと松本観光をしたかったのですがタイムオーバー。まっ今回は真田一族を巡る旅ですので
この辺にしといたろ。またゆっくりと城巡りに行きたいと思います。
まだ明るい内ですが長野に到着。駅は全面工事中で駅舎が見えないのは残念でした。
明日からのハードなウォーキングに備え早くもチェックイン。この日と次の日はこのホテルにお世話
になりました。「ホテルセレクトイン長野」です。
部屋は激狭ですが、各室エアコンと冷蔵庫装備。快適な2日間でした。しかも1泊朝食(パンと
コーヒー)付きで4200円とカプセルホテル並みの安さで大満足。
やっぱり少し疲れていたのでしょう。ビデオチャンネルで壇蜜ちゃんを点けたまま寝てしまいました。
明日はいよいよ松代に。しかしちょっと寄り道しました。続きは次回に。
旅の目的は今年大阪冬之陣から400年、真田一族を巡る旅です。まあそれ以外のところ
も少し周りましたので、3泊4日の旅を何回かに分けて紹介させていただきます。
ちょっとハード、でも楽しい青春18きっぷの旅です。狭い日本そんなに急いで何処に行く。
風景をゆっくり眺めながらゆったりとした気分はこのきっぷならではの旅です。
まず初日の行程を並べますと、
自宅5:55―徒歩―大日6:01発―地下鉄谷町線―東梅田6:18着―徒歩―JR大阪6:33発―
JR京都線米原行新快速―米原8:00着8:03発―JR東海道本線大垣行―大垣8:37着8:42発
―JR東海道本線豊橋行―名古屋9:15着9:24発―JR中央本線中津川行快速―中津川10:39着
11:00発―JR中央本線坂下行―坂下11:09着11:15発―南木曽災害のため代行バス野尻行―
野尻12:05着12:31発(この間コンビニでおにぎり3個にて昼食)―JR中央本線松本行―松本
14:15着―松本城観光―16:34発ーJR篠ノ井線長野行―17:50長野着という行程でした。
代行バスがあったため日本海側を周る強行突破は避ける事ができました。且つ松本城を観光する
余裕まであり得した気分です。国宝松本城は駅から歩いてすぐです。
途中縄手通りでガマ侍がお出迎えです。下を流れる女鳥羽川にカジカガエルがたくさんいたそうです。
平日なのに松本城は大盛況で堀の周りをぐるりと散歩し天守にも入ったのですが、まるでところてん
でも押し出されるようにゆっくりと周ることができませんでした。狭い階段と通路は込み合い展示物を
見る余裕もありません。でも流石国宝松本城、どっしりとした城構え、悠然たる姿は今の派手な大阪城
にはないものがあります。
松本城のウィキペディアはhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E5%9F%8E
どうせ私は一人旅、ハトまでカップルで松本観光です。
もうちょっと松本観光をしたかったのですがタイムオーバー。まっ今回は真田一族を巡る旅ですので
この辺にしといたろ。またゆっくりと城巡りに行きたいと思います。
まだ明るい内ですが長野に到着。駅は全面工事中で駅舎が見えないのは残念でした。
明日からのハードなウォーキングに備え早くもチェックイン。この日と次の日はこのホテルにお世話
になりました。「ホテルセレクトイン長野」です。
部屋は激狭ですが、各室エアコンと冷蔵庫装備。快適な2日間でした。しかも1泊朝食(パンと
コーヒー)付きで4200円とカプセルホテル並みの安さで大満足。
やっぱり少し疲れていたのでしょう。ビデオチャンネルで壇蜜ちゃんを点けたまま寝てしまいました。
明日はいよいよ松代に。しかしちょっと寄り道しました。続きは次回に。
これにて御免
姫路・播州赤穂漫遊記(播州赤穂編) [旅行]
書写ロープウェイを降り再びバスで姫路へ戻ったのがもう13時を過ぎたお昼過ぎ、
お腹も空いてきましたので何か姫路名物でもと思いましたが、JR赤穂線の次の
電車まで30分しかありません。探す間もなく「なか卯」で親子丼とすだちおろしうどん小
で済まし、播州赤穂へと向いました。JRも黒田官兵衛便乗です。
約30分で播州赤穂駅到着です。
駅前には早くも大石内蔵助像がお出迎えです。
赤穂城址に向います。その道中も赤穂浪士所縁の場所が数々あります。
「息継ぎ井戸」早かごで主君刃傷の凶報を持って江戸より駆けつけた際、
この井戸で一息ついて城内へ入ったと言われています。日本三大上水道の一つ赤穂藩上水道
の給水井戸です。
その横にはからくり時計があります。1時間毎にからくりが動くそうですが、残念ながらタイミング
合わず見ることはできませんでした。
次に向ったのが「花岳寺」です。浅野家の菩提寺として天保2年(1645)に建立。
歴代の赤穂藩主の他47義士の墓碑がある曹洞宗のお寺さんです。開山は秀巌龍田大和尚。
境内に入ってまず目に付くのが「鳴らずの鐘」です。赤穂藩民衆が、義士の死を悲しみ花岳寺
に集まり、この鐘をつきにつき、つきすぎたために鳴らなくなった。と伝えられています。
休憩所に展示しているのが初代「大石なごりの松」です。赤穂を去る内蔵助が
その樹の下で名ごりをおしんだ。と伝わります。今は2代目が境内に立っています。
本堂・報恩堂は千躰の観音菩薩をはじめ青面金剛菩薩などの諸尊像を安置し、「千手観音」が
守り本尊として安置されています。
仏像は写真NGですが、この本堂のもう一つの見どころは天井に描かれた「天井の大額」です。
この「竹に虎」はもともと五月節句の幟(のぼり)として描かれた絵です。安政元年寅年に、
赤穂の絵師、法橋義信(ほっきょうよしのぶ)が65才の時描きました。迫力満点です。
赤穂城址に向います。天守は残っておらず広い公園のようになっています。
天守は大きかったようです。地面に間取りがわかるように印がされています。
城址内に大石邸と大石神社があります。大石邸長屋門です。
赤穂大石神社は菅原道真公を奉る天満宮ですが、ご祭神は大石内蔵助良雄
以下四十七義士命と中折の烈士萱野三平命を主神とし、浅野長直・長友・長矩の三代の城主と、
その後の藩主森家の先祖で本能寺の変に散った森蘭丸ら七代の武将を合祀しています。
参道には義士像が並んでいます。
忠臣蔵・赤穂浪士はストーリーはさすがに知っていますが、47義士はほとんど知りません。
講談師川柳に「冬は義士 夏はおばけで メシを喰い」というのがあります。ちょっと勉強
しなければなりません。大石内蔵助
大石主税
堀部安兵衛
ぐらいはわかります。境内にも大石内蔵助の像がありました。駅前のも含めて3体目です。
改めて赤穂の街は義士の街だなぁと実感しました。赤穂浪士の気分で帰路に着きました。
途中お土産を買い駅に近づくと、地方都市ならではのスナックビルが。赤穂浪士もオネエちゃん
相手に酒を飲みたかったでしょうね。
この日の青春18きっぷ(11850円)の消費は、
大阪~姫路1490円、姫路~播州赤穂580円、播州赤穂~大阪2270円、計4340円でした。
あと4日分。楽勝で元は取れそうです。
P.S. 播州赤穂のお土産は例によってクリアファイル、47義士ゆるキャラバージョン(250円)と、
播州赤穂名物「塩味饅頭」です。中のこしあんが少し塩味で微妙においしい。でもこの大きさ
で6個620円はちょっとボッタクリか。
いよいよ明日より信州長野、松代・上田の旅に出ます。よってブログは1週間お休みになりますのでご了承下さい。旅の報告はまた来週より報告いたします。
代行バス運転により日本海迂回ルートは避けられそうです。ちょっとは楽になります。
お腹も空いてきましたので何か姫路名物でもと思いましたが、JR赤穂線の次の
電車まで30分しかありません。探す間もなく「なか卯」で親子丼とすだちおろしうどん小
で済まし、播州赤穂へと向いました。JRも黒田官兵衛便乗です。
約30分で播州赤穂駅到着です。
駅前には早くも大石内蔵助像がお出迎えです。
赤穂城址に向います。その道中も赤穂浪士所縁の場所が数々あります。
「息継ぎ井戸」早かごで主君刃傷の凶報を持って江戸より駆けつけた際、
この井戸で一息ついて城内へ入ったと言われています。日本三大上水道の一つ赤穂藩上水道
の給水井戸です。
その横にはからくり時計があります。1時間毎にからくりが動くそうですが、残念ながらタイミング
合わず見ることはできませんでした。
次に向ったのが「花岳寺」です。浅野家の菩提寺として天保2年(1645)に建立。
歴代の赤穂藩主の他47義士の墓碑がある曹洞宗のお寺さんです。開山は秀巌龍田大和尚。
境内に入ってまず目に付くのが「鳴らずの鐘」です。赤穂藩民衆が、義士の死を悲しみ花岳寺
に集まり、この鐘をつきにつき、つきすぎたために鳴らなくなった。と伝えられています。
休憩所に展示しているのが初代「大石なごりの松」です。赤穂を去る内蔵助が
その樹の下で名ごりをおしんだ。と伝わります。今は2代目が境内に立っています。
本堂・報恩堂は千躰の観音菩薩をはじめ青面金剛菩薩などの諸尊像を安置し、「千手観音」が
守り本尊として安置されています。
仏像は写真NGですが、この本堂のもう一つの見どころは天井に描かれた「天井の大額」です。
この「竹に虎」はもともと五月節句の幟(のぼり)として描かれた絵です。安政元年寅年に、
赤穂の絵師、法橋義信(ほっきょうよしのぶ)が65才の時描きました。迫力満点です。
赤穂城址に向います。天守は残っておらず広い公園のようになっています。
天守は大きかったようです。地面に間取りがわかるように印がされています。
城址内に大石邸と大石神社があります。大石邸長屋門です。
赤穂大石神社は菅原道真公を奉る天満宮ですが、ご祭神は大石内蔵助良雄
以下四十七義士命と中折の烈士萱野三平命を主神とし、浅野長直・長友・長矩の三代の城主と、
その後の藩主森家の先祖で本能寺の変に散った森蘭丸ら七代の武将を合祀しています。
参道には義士像が並んでいます。
忠臣蔵・赤穂浪士はストーリーはさすがに知っていますが、47義士はほとんど知りません。
講談師川柳に「冬は義士 夏はおばけで メシを喰い」というのがあります。ちょっと勉強
しなければなりません。大石内蔵助
大石主税
堀部安兵衛
ぐらいはわかります。境内にも大石内蔵助の像がありました。駅前のも含めて3体目です。
改めて赤穂の街は義士の街だなぁと実感しました。赤穂浪士の気分で帰路に着きました。
途中お土産を買い駅に近づくと、地方都市ならではのスナックビルが。赤穂浪士もオネエちゃん
相手に酒を飲みたかったでしょうね。
この日の青春18きっぷ(11850円)の消費は、
大阪~姫路1490円、姫路~播州赤穂580円、播州赤穂~大阪2270円、計4340円でした。
あと4日分。楽勝で元は取れそうです。
これにて御免
P.S. 播州赤穂のお土産は例によってクリアファイル、47義士ゆるキャラバージョン(250円)と、
播州赤穂名物「塩味饅頭」です。中のこしあんが少し塩味で微妙においしい。でもこの大きさ
で6個620円はちょっとボッタクリか。
いよいよ明日より信州長野、松代・上田の旅に出ます。よってブログは1週間お休みになりますのでご了承下さい。旅の報告はまた来週より報告いたします。
代行バス運転により日本海迂回ルートは避けられそうです。ちょっとは楽になります。
姫路・播州赤穂漫遊記(書寫山円教寺編・本編) [旅行]
書寫山円教寺、なぜこのお寺さんに行こうかと思い立ったのか。それは黒田官兵衛所縁のお寺さん
である事もそうですが、ここの開山堂にある彫り物が左甚五郎作のものでいわくつきだからです。
開創健保3年(966)、開山・性空の天台宗のお寺さんです。志納所で入山料500円を支払い
いよいよ入山です。
開山以来大きな災害や戦火もなく、重要な建造物、寺宝が数多く現存します。
すぐに鐘堂が見えます。慈悲(こころ)の鐘というそうです。
書写山は標高371m、あまり暑さは下と変りませんが、いい風が吹いています。
ここから先に紹介した西国三十三箇所巡礼の道へ。道中異様な巨大キノコ発見。
仁王門到着。いよいよ円教寺(えんぎょうじと読みます)へ。
長い山道を抜けるとまず壽量院があります。後白河法皇がここに七日間こもって観世音菩薩の
加護を願われた。と言われています。(国指定重要文化財)
もう少し歩くと円教寺会館(宿坊)です。姫路市の小学校の林間学校はここに泊まるそうです。
さらに奥へしばらく行くと本堂・西国経納所摩尼殿です。ご本尊・如意輪観音像は秘仏で1月18日
に開扉されます。
すぐ側に阿弥陀如来坐像が鎮座されています。
さらに奥へ。奥の院を目指します。3つのお堂からなる奥の院。常行堂に食堂(宝物館)、大講堂です。
特に宝物館は必見で、文殊菩薩像、五大明王、日光、月光菩薩、十二神将など仏像のオンパレード
です。仏像好きにはたまりません。
さらに奥へ。一番奥にあるのが、本日のメインイベントの一つ。左甚五郎の彫刻がある開山堂です。
火除けのために雲竜に彫られたほぞ。
そして屋根を支える四隅の力士像。四隅の内の一体が重さに耐えかねて逃げたという逸話があります。
三体は確認しましたが、肝心の一体が工事中で確認できませんでした。残念
帰路の途中に見つけたのが小さな不動堂と大黒堂でした。
一周りするのに3時間。充実した時間を過ごす事ができました。暑い中のウォーキング。水分補給
をしながら次の目的地、播州赤穂に向うためロープウェイ駅へ。上下1本づつのピストン運転の車両
は、一台は黒田官兵衛仕様、もう一台は姫路のゆるキャラしろまるひめ仕様です。
次回は忠臣蔵、赤穂浪士の里、播州赤穂へと向います。
P.S. おみやげは書寫山円教寺の手ぬぐいを購入(300円也)
である事もそうですが、ここの開山堂にある彫り物が左甚五郎作のものでいわくつきだからです。
開創健保3年(966)、開山・性空の天台宗のお寺さんです。志納所で入山料500円を支払い
いよいよ入山です。
開山以来大きな災害や戦火もなく、重要な建造物、寺宝が数多く現存します。
すぐに鐘堂が見えます。慈悲(こころ)の鐘というそうです。
書写山は標高371m、あまり暑さは下と変りませんが、いい風が吹いています。
ここから先に紹介した西国三十三箇所巡礼の道へ。道中異様な巨大キノコ発見。
仁王門到着。いよいよ円教寺(えんぎょうじと読みます)へ。
長い山道を抜けるとまず壽量院があります。後白河法皇がここに七日間こもって観世音菩薩の
加護を願われた。と言われています。(国指定重要文化財)
もう少し歩くと円教寺会館(宿坊)です。姫路市の小学校の林間学校はここに泊まるそうです。
さらに奥へしばらく行くと本堂・西国経納所摩尼殿です。ご本尊・如意輪観音像は秘仏で1月18日
に開扉されます。
すぐ側に阿弥陀如来坐像が鎮座されています。
さらに奥へ。奥の院を目指します。3つのお堂からなる奥の院。常行堂に食堂(宝物館)、大講堂です。
特に宝物館は必見で、文殊菩薩像、五大明王、日光、月光菩薩、十二神将など仏像のオンパレード
です。仏像好きにはたまりません。
さらに奥へ。一番奥にあるのが、本日のメインイベントの一つ。左甚五郎の彫刻がある開山堂です。
火除けのために雲竜に彫られたほぞ。
そして屋根を支える四隅の力士像。四隅の内の一体が重さに耐えかねて逃げたという逸話があります。
三体は確認しましたが、肝心の一体が工事中で確認できませんでした。残念
帰路の途中に見つけたのが小さな不動堂と大黒堂でした。
一周りするのに3時間。充実した時間を過ごす事ができました。暑い中のウォーキング。水分補給
をしながら次の目的地、播州赤穂に向うためロープウェイ駅へ。上下1本づつのピストン運転の車両
は、一台は黒田官兵衛仕様、もう一台は姫路のゆるキャラしろまるひめ仕様です。
次回は忠臣蔵、赤穂浪士の里、播州赤穂へと向います。
これにて御免
P.S. おみやげは書寫山円教寺の手ぬぐいを購入(300円也)