大阪漫遊記(平野・杭全)編 [徒然]
木曜日の定期通院後、大阪市の南東端にある平野に行ってきました。私の実家のある平野区
ですが、実家である喜連(きれ)の隣町の平野という町に限定します。喜連の町ついては
また別の機会に紹介しますが、この平野という町は非常に歴史のある町です。まず平野という
名前の由来ですが、平安時代初期、第2代征夷大将軍の坂上田村麻呂(学校では初代と習った
記憶もありますが、初代は奈良時代後期の大伴弟麻呂です。)の次男、坂上広野麻呂が開拓
し、その広野がなまって平野になったという事です。JR関西本線で天王寺から2つ目の駅です。
駅から東に3分ほどのところに坂上公園があり、その中に広野麻呂の墓跡があります。
再び駅の方に戻ると、駅前にあるのが杭全(くまた)神社です。
862年広野麻呂の息子坂上当道が平野の守護神として素盞嗚尊を勧請し創建奉祀されました。
本殿及び三間社流造は重要文化財です。
縁結びのご利益があるらしいのですが、無縁の私には無用かも・・・。
境内に筆塚がありました。使い古した筆を奉納し、書、文の上達を願います。私も文章の上達を
願い手を合わせました。
この神社で毎年7月の中旬に夏祭りがあります。町内毎に地車(だんじり)が出て大きな祭りに
なります。岸和田のような激しい引きはありませんが、だんじりを引いた子供にはその町内会から
助六の寿司とお菓子がもらえるので、隣町であるにも関わらず私達はそれに紛れちゃっかり寿司と
お菓子を貰った思い出があります。懐かしさに浸りながら次の目的地へ。
P.S. 5月に入ってもう1つカレンダーをめくるのを忘れていました。2ヶ月毎のカレンダーです。
今月は早くも水着の杉本有美ちゃんです。
ですが、実家である喜連(きれ)の隣町の平野という町に限定します。喜連の町ついては
また別の機会に紹介しますが、この平野という町は非常に歴史のある町です。まず平野という
名前の由来ですが、平安時代初期、第2代征夷大将軍の坂上田村麻呂(学校では初代と習った
記憶もありますが、初代は奈良時代後期の大伴弟麻呂です。)の次男、坂上広野麻呂が開拓
し、その広野がなまって平野になったという事です。JR関西本線で天王寺から2つ目の駅です。
駅から東に3分ほどのところに坂上公園があり、その中に広野麻呂の墓跡があります。
再び駅の方に戻ると、駅前にあるのが杭全(くまた)神社です。
862年広野麻呂の息子坂上当道が平野の守護神として素盞嗚尊を勧請し創建奉祀されました。
本殿及び三間社流造は重要文化財です。
縁結びのご利益があるらしいのですが、無縁の私には無用かも・・・。
境内に筆塚がありました。使い古した筆を奉納し、書、文の上達を願います。私も文章の上達を
願い手を合わせました。
この神社で毎年7月の中旬に夏祭りがあります。町内毎に地車(だんじり)が出て大きな祭りに
なります。岸和田のような激しい引きはありませんが、だんじりを引いた子供にはその町内会から
助六の寿司とお菓子がもらえるので、隣町であるにも関わらず私達はそれに紛れちゃっかり寿司と
お菓子を貰った思い出があります。懐かしさに浸りながら次の目的地へ。
これにて御免
P.S. 5月に入ってもう1つカレンダーをめくるのを忘れていました。2ヶ月毎のカレンダーです。
今月は早くも水着の杉本有美ちゃんです。