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不安を打ち消すために [徒然]

アカデミー俳優ロビン・ウィリアムス氏が自殺したという話はもう皆さんご存知だと思います。
映画に疎い私でも彼の「グッドモーニングベトナム」や「ミセス・ダウト」などの明るい映画、
助演男優賞を取った「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」などは大好きな映画です。
大好きな俳優の一人でした。加齢や病気、事故による死なら残念には思うでしょうが、今回彼が選ん
だ道に私は非常にショックを受けています。それは私と全く同じ病気を抱えての自殺だったからです。
私自身、日頃よく躓いたり、手の振るえ、滑舌が悪くなってきている自覚症状も多くなってきました。
睡眠障害、躁鬱の起伏も激しくまさにロビン氏と似た状況にある事は確かです。でも私が彼と決定的
に違うところは、私には父母が健在という事。このことが私を支えている大きな要因です。親より先に
逝く事ほど親不孝な事はありません。ですから私はあがいてやろうと思っています。
と言っても不安は拭えません。ですから私は旅に出ます。いろんな物を見てやろうと、いろんな経験を
してやろうと、そして精一杯楽しく明るく過ごしていく事を目指して。

信州のハードな旅から帰って間もないですが、先週木曜日は定期通院もお盆休み。私は軽く山ボーイ
になってきました。登ったのは生駒山、大阪と奈良の県境になる山です。標高は642m、関東で言う
高尾山と同じぐらいですね。途中にあるのが宝山寺です。
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真言律宗大本山の寺院で生駒聖天(いこましょうてん)とも呼ばれています。山号は生駒山。
1678年に湛海律師によって開かれました。本尊は不動明王。鎮守神として歓喜天(聖天)を
聖天堂(天堂)に祀っています。仏塔古寺十八尊第十五番札所です。
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お盆で人は多かったのですが、やはり山寺特有の静けさに包まれて落ち着くお寺さんでした。
前々から行きたいお寺さんの一つでしたが、私の行く手を阻んでいたのはこんな理由がありました。
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登山道の参道に並ぶ料理旅館という店の数々。ここは宝山寺新地と呼ばれる今なお続く遊郭街です。
意識し過ぎかも知れませんが、やましい事がなくともやっぱり通りにくいです。

山頂に着くとそこは生駒山上遊園地です。お盆休みなので家族連れで賑わっていました。
入場は無料でアトラクションに乗るのに料金が要ります。小さなお子さんが楽しめる遊具ばかりで
スリル系アトラクションはありません。それでも夕刻を過ぎるとカップルが多く来園するのは、やっぱり
そこから見えるきれいな夜景を見るためでしょう。(ドライブウェイの途中にはホテルも多くありますし)
私が見たかったのは地デジ化されてから初めて見る電波塔です。関東はスカイツリーから発信され
ますが、関西のテレビ、FMはこの生駒山上から電波が発信されます。
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帰りは転倒が恐いのでケーブルカーにて下山しました。麓の鳥居前駅から宝山寺駅までは日本で
最初に走ったケーブルカーとして有名です(大正7年)。当初はこんな車両です。
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今は子供人気を惹くためかこんな派手派手な車両になっています。
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軽く汗を流した1日。今日も元気です。
これにて御免[exclamation][ダッシュ(走り出すさま)]



P.S.  好評[exclamation&question]ジュンちゃんの顔ハメ看板コーナー[NEW]  
      これは顔ハメと言えるのか?体ごとはまってしまった[手(チョキ)] 
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信州長野(松本・長野・松代・上田)漫遊記(3日目・上田編) [旅行]

3泊4日信州の旅レポも今回が最終回です。真田を後にし上田に戻ってきました。
休む間もなく「上田城跡公園」へ。駅から歩いて20分ぐらいですが、足はガクガク
そしてマメや水ぶくれ、満身創痍です。足を引きずりながらやっと到着。
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上田城は、甲斐武田氏の旧臣である真田昌幸により、1583年(天正11年)に築城された平城です。
天守は築城当時からなく、昌幸が築城するにあたり、天守は戦には目立つだけでメリットがないと
言う事で造られませんでした。真田家にとっては立派な天守は必要なかったのでしょう。
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今は本丸南櫓と東虎口櫓門が残されています。東虎口櫓門には入ることができます。入場料は
250円。これで市立博物館と山本鼎(画家)記念館と共通入場券になります。
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特に中は何もなく少しの展示品と景色を眺める程度です。
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本丸南櫓
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本丸跡には、明治に松平神社として建立された歴代城主を祀った神社があり「真田神社」と呼ばれて
います。
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境内にでっかい幸村の兜があります。この赤く六連銭の前立てに鹿の角の脇立ては有名ですが、
実は大坂之陣でしか使われていません。
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本丸跡は緑の多い気持ちのいい公園になっています。
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少し見にくい写真で申し訳ございませんが、城の周りは千曲川から流れ込む尼ヶ淵によって掘が
周りを囲んでいます。
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このことから上田城は尼ヶ淵城とも呼ばれています。この小さい城がなぜ注目を集めるのか?
それはやはり2度に渡る上田の合戦を守り抜いたからでしょう。
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第1次上田合戦では徳川家康7000人の軍勢に対し2000人の軍勢で立ち向かい撃退します。
これだけでも昌幸の戦略はすごいと思いますが、やはり注目は第2次上田合戦です。
豊臣秀吉が天下を統一し、しばらく動乱は治まりますが、慶長5年(1600)に関ケ原の戦いが
起こります。秀吉没後の覇権を、徳川家康と石田三成が争ったこの戦いで、昌幸と次男の幸村は
石田方に、長男の信之は徳川方に別れて戦うことになります。 石田方についた昌幸と幸村は、
上田城に立てこもり、東山道を西上する徳川秀忠軍3万8000人に対して、わずか2500人で籠城戦
を行います。この第二次上田合戦では、徳川秀忠軍は、7日間上田に釘(くぎ)づけとなり、関ケ原
での石田三成との決戦に間に合わず、家康の激怒をかっています。しかし関ケ原の戦いは、
石田方の敗北に終わり、昌幸と幸村は、九度山(和歌山県)に幽閉されます。
そして、徳川方に接収された上田城は一度破壊されます。堀を埋めて、塀を壊し、櫓(やぐら)などの
建物はいうまでもなく壊され、廃城となりました。その後、上田領を家康から与えられた長男の信之が
引き継ぐことになります。
大坂之陣でも証明されますが、いかに昌幸、幸村が優れた軍師であったことがおわかりになる
でしょう。公園内にあるのが市立博物館と山本鼎(画家)記念館ですが、共通入場券があったので
入りましたが特に見るべきものはありませんでした。(私にとっては)
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次に向ったのが公園から歩いて10分ほどのところにあるのが、「池波正太郎真田太平記館」です。
残念ながらここも館内撮影NG。著書「真田太平記」の世界を紹介する文学館とガイドにはありました
が、約半分は池波氏の歴史が紹介されており私には興味ございません。しかし、真田太平記を
モデルにした映像の世界は非常に興味深く面白いものでした。
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最終日のホテルは上田駅のすぐ近く「ホテルカドマン」です。
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建物自体古いビジネスホテルです。1泊3500円とカプセルホテル並なのであまりクレームは
つけたくありませんが、部屋の狭さはともかく冷房が館内全体の空調であまり効いていない。
室内冷蔵庫もなく、テレビは昔のブラウン管型で画像も電波状況が悪いのか見にくいテレビ。
明日の長旅に備えて早めに就寝しました。
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翌朝7:00出発。来た時の逆で帰路に着きました。朝食は上田駅のコンビニでサンドイッチと牛乳。
昼食は旅の醍醐味の一つ、駅弁を購入。
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ハードな旅でしたが充実した旅でした。改めて真田幸村が好きになりました。今度はいずこへ歴史旅。
また楽しみにしています。
今回の旅ではバス、しなの鉄道の移動を除き、青春18きっぷで使用した区間は、
往路  大阪~松本~長野    7340円
復路  篠ノ井~大阪       7020円(上田~篠ノ井は、私鉄しなの鉄道)
合計 14360円  前回の姫路の旅では4340円  総計 18700円
青春18きっぷは11850円。十分元は取れました。まだ2日分残っています。さて9月10日まで
何処へ行こうか思案中です。
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これにて御免[exclamation][ダッシュ(走り出すさま)]



P.S.   フェイスブックの「関西顔ハメ看板普及委員会」というのに所属しています。私は昔から
       一人旅ですので、顔ハメ看板があるとハメたくて仕方ありませんでした。今回勇気をふり
       しぼり、公園管理者の方にお願いして撮ってもらいました。「わしが幸村じゃ~[exclamation×2]
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信州長野(松本・長野・松代・上田)漫遊記(3日目・真田編) [旅行]

朝7時から始まるホテルの朝食を頬張りすぐにチェックアウト。長野からJR篠ノ井経由、そのまま
直通の私鉄しなの鉄道で上田まで向いました。
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そこから上田バスで20分、いよいよ真田一族発祥の地、真田の村を巡ります。まず下原を下車して
すぐにある真田氏記念公園。猫の額ほどの小さな広場です。
池波正太郎書の「真田氏発祥の郷」の碑が立っています。
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真田の里のシンボル、昌幸、幸村、幸隆のレリーフ像も立っています。
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さあここからがハードな旅の始まりです。公園にあった「真田三代ゆかりの地マップ」を見て出発。
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向かうは真田氏館跡御屋敷公園と隣接する真田氏歴史館です。ここから山道2,2km登ります。
朝の8時過ぎ。この日も猛暑日、早くも暑くなってきています。駅のコンビニで買った凍ったスポーツ
ドリンク2本は正解でした。道中に出会う様々な風景にも元気や癒しがもらえる事ができます。
1本の茎からこんなに花を咲かすヒマワリを見たのは初めてです。
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猫も暑さにグッタリか、それとも早い昼寝なのか。屋根の上の影に陣取っています。
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山深く入りやっとの事で標高763m真田氏館跡御屋敷公園に到着。松代にも真田邸はありましたが、
こちらが真田氏の原点といってもいいでしょう。
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中央には皇大神宮が祀られています。
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何もありませんが、ここが真田家の馬舎があった所だそうです。地元のゲートボールをやっていた
おばあさんに教えていただきました。
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すぐ奥に真田氏歴史館です。ここも貴重な資料がたくさん展示されていました。館内撮影NGです。
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さらにさらに登ります。車で行くには菅平へ続く144号線をずっと上って行けます。
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が、徒歩ではさらに約3kmの山道。もう上田の街は遥かに下に見下ろせます。
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ヘロヘロになりながらやっと到着。
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と思いきや、この入り口の碑よりさらに登ります。もうイヤッ[がく~(落胆した顔)]
約200m登って頂上に着くとやっと到着。入り口に諏訪神社の小さな祠がありました。
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真田氏本城跡です。山城なので天守、堀、石垣などはありません。静かな森の空気が漂います。
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小さなお地蔵さんが鎮座されていました。
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真田本城跡と言われてもな~んにもございません。
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別名「松尾城」と呼ばれ天文年間(1532~1555)に真田幸隆によって築城。天文10年(1541年)
に武田信虎、諏訪頼重、村上義清連合軍との戦い(海野平の戦い)により、滋野氏嫡流の海野棟綱
と共に真田幸隆は本領を奪われますが、天文20年(1551年)に、武田信玄の命を受けた幸隆が
戸石城を奪取して小県の本領を回復した後、幸隆・信綱・昌幸の三代に渡って真田本城およびその
支城群が整備され、上田城に移るまで真田氏の本城であったと考えられています。
もうここで体はガタガタ、汗はビッショリ。山上で心地いい風をしばらく浴びて下山しました。
しかし山は登りの方がしんどいですが、下りは足に相当負担がかかります。一気に下りました。
ただでさえ足に不安がある体。転ぶ事数回、擦り傷だらけでやっとのことでバス停到着です。
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しかし通常でも1時間に1本の路線ですが、12時の1時間のダイヤがありません。次のバスまで
1時間半、ちょうど昼時だったので近くの食堂にて昼食。おすすめと書かれていた定食を注文。
ラーメン、もつ煮、半ライスで1000円。味は・・・。
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ラーメンはなんの特徴もない普通の醤油ラーメンです。問題はもつ煮。とにかく臭い。おそらく下処理
せずに煮込んだのでしょう。味噌仕立てでしたが臭みが全く取れていなくて大量の七味をかけて食べ
ました。充実したこの旅でしたが、食に関してはちょっと残念な旅でした。
                次回は最終回、上田城と上田の街を巡り上田泊、翌日大阪への帰路へ。
これにて御免[exclamation][ダッシュ(走り出すさま)]



P.S.  昨日、会社帰りに阪神百貨店に寄りました。催し物は『空海展』でした。
      大曼荼羅図は圧巻。また空海上人の3Dプリンターで再現された像もあり、それは触る事
      が出来、手を合わせてきました。
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      超ミニチュアの法具、五鈷杵、三鈷杵、独鈷杵が入るお守りを購入。
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信州長野(松本・長野・松代・上田)漫遊記(2日目・善光寺編) [旅行]

長野に戻り急いで善光寺へ。拝観が16:30までなので、急げ急げと行ってきました。
定額山・善光寺。信濃の人若麻続東人(本田善光)が別の所で草堂を営んだのが始まりとされ、
飛鳥時代の皇極天皇元年(642年)、現在地に伽藍が造営されました。
善光寺の交差点からまず見えるのが大本願です。
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この大本願をはじめ大勧進など39の塔頭からなる5万9000㎡からなる大寺院です。
本堂まではまだまだあります。この不動尊も39の塔頭の一つです。
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仁王門は火災焼失のため大正7年に再建されたもので、左右に立つ阿吽の仁王像は
高さ5mの檜造りで、高村光雲と弟子の米原雲海による傑作です。
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山門までにあるのが六地蔵とぬれ仏(延命地蔵)です。
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立派な山門です。この山門は上に上ることもできるのですが、入場料がいるのと時間の関係でパス。
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本堂も立派。本堂に上るのは無料ですが、本尊近くまで行くためには本堂内陣拝観料が必要なので
ここも外側まで。堂内に上がり遠くからご本尊に手を合わせました。
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国内でも有数の古刹です。「牛に引かれて善光寺参り」は全国的に知られています。
昔、長野の善光寺近くに住んでいた不信人で欲深い老婆が、さらしていた布を隣の家の牛が
角に引っかけて走り出したのを見て、その牛を追っていくうちに善光寺にたどり着き、それが
きっかけで度々善光寺に参詣するようになり、信仰の道に入ったという言い伝えから、思いがけず
他人に連れられて、ある場所へ出掛けること。また、他人の誘いや思いがけない偶然で、
よい方面に導かれることのたとえとされています。 一生に一度はお参りしないと極楽に行けないと
参拝者が絶えないそうで、このお寺さんは特定の宗派に属さず(四天王寺さんと同じですね。)、
天台宗と浄土宗の僧が共同で、本尊である絶対秘仏・一光三尊阿弥陀如来像を守っています。
経蔵
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日本忠霊殿
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鐘楼
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全部周るには時間が少なすぎました。急いで周りましたのでそれぞれ詳しく説明できずスイマセン。
いろいろ巡った2日目でした。この日も長野泊。昨日と同じホテルです。チェックインする前に夕食
です。もちろん長野と言えば信州そばでしょう。駅前ガイドにて人気銘店をリサーチし行ってきました。
行ってみると盛況ぶりに期待値も上ります。天ざるを注文しました。1650円、少しお高いのでは・・・
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食レポ感想。信州産のそば粉を使った二八そば、麺はそれなりに美味しかった。しかし流通事情が
いい昨今。これぐらいは大阪でも食べられます。しかしいただけないのがつゆです。これは関東以北
で全般に言えると思うのですが、出汁が鰹出汁のみで昆布の旨みがない単調な味です。これでは
満足したとは言えません。厳しいようですがこの味この値段で大阪で店を始めても半年ともたない
でしょう。期待値が高かった分少々ガッカリして店をでました。
次回からいよいよ真田、上田に向かいます。この旅最強のハードな旅になりました。その報告は
また次回に。
これにて御免[exclamation][ダッシュ(走り出すさま)]



P.S.     実は小百合ストです。このミニ写真集が欲しいがため、読みもしない週刊ポスト
         を買ってしまいました。よう考えたら私より18才も年上。信じられな~い。
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信州長野(松本・長野・松代・上田)漫遊記(2日目・松代編Part2) [旅行]

真田邸を後にし、次に行ったのがすぐ近くの文武学校です。真田邸とこの文武学校、そして次に紹介
する真田宝物館へは共通入場券400円で入ることができます。この文武学校は真田氏所縁と言って
も幕末時代安政2年(1855年)に九代藩主・真田幸教のときに開校された藩校で、蘭学や医学、
そして武道や西洋砲術に力を入れたそうです。
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残念ながら校舎は修繕工事中で中まで見ることはできませんでした。
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砲術、弓道場はピンと空気が張りつめた感じがします。
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槍道場も広く、やっぱりここでは幸村の十文字槍が伝承されたのでしょうか。
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文武学校のすぐ近くに真田宝物館があります。
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残念ながら館内撮影はNGですが、貴重な真田家に伝わる武具や大名道具、また信玄、秀吉、家康
らの古文書をはじめ、服飾、調度品、道具類など数万点の収蔵品の中から、年4回入れ替えて展示
しているそうです。真田信綱の青江太刀(重要文化財)も展示。真田家が信玄に仕えてから江戸時代
に渡るまでの代々の歴史がわかり非常に興味深い施設でした。
館内を見終わるとちょうどお昼時、まだ信州らしい物を食していなかったので「おやき」を食べました。
定番の野沢菜、なす味噌、つぶあんをチョイス。残念ながら「これは旨い[手(チョキ)]」というほどではありませ
んでした。こんなもんかと思っていたらサービスで出た白菜の塩漬けが一番美味しかったです。
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松代最後は真田家の菩提寺、長国寺へと向いました。約20分のウォーキング。
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立派な本堂です。
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本堂の屋根にはやっぱり大きな六連銭が書かれています。
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本堂に上りたかったのですが、曹洞宗の禅寺なのでどこかの団体が座禅研修をしていたためNG。
境内をぐるりと散策。
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なぜか真田家代々のお墓には入場料が必要でした。座禅でお坊さんたち手がいっぱいで入ること
が出来ませんでした。これまた残念。入り口から一枚。
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再び20分歩き松代駅へ。バスにて急いで長野に戻ります。この時点でもう15時。次は時間があれば
行こうと思っていた善光寺へ。その報告はまた次回。
これにて御免[exclamation][ダッシュ(走り出すさま)]

しかし残念ながらの多い日でした。


P.S.   昨日は仕事が終わってから、月例の旭堂南陵一門会に行ってきました。
       筆頭弟子の小二三さんが演じる「難波戦記」の続き読みはまさに幸村の活躍を語る
       お話です。講談を聞きながら旅の想い出に浸っていました。
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